橋寺知子先生が、関大の村野藤吾建築を案内! 魅力あふれる近代建築が大学生活の"記憶の器"に
文化・スポーツ
レクチャー編では、建築家・村野藤吾さんの人物像や作品の特徴をうかがいました。今回は実際のキャンパスを歩きながら、作品に触れてみましょう。
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まず橋寺先生に案内してもらったのは第2学舎エリアを正門からまっすぐ歩くと、右側に見えてくる特徴的な円形の建物が「円神館」です。ここはもともと専門図書館として使われていたのですが、現在ITはセンターとなってます。
―円形でインパクトがありますね...。
「アイデアスケッチを見ていると、どうやら最初は四角い建物にするつもりだったようですが、突如、円形の案が出てくるんですよ」
―なぜ円形にされたんでしょう?
「大学にとって図書館は一つの象徴という意味をもたせたのかもしれません。それに、四角い建物ならどこを正面にするかが難しいですが、円形だと正面がはっきりしないでしょう。経済学部、商学部、工学部のための図書館だったこともあり、特定の学舎に正面が向くのを避けたとも考えられます。正門から進んでくると真正面に見え、ここから道が曲がっていくアイストップになる建物でもあるので、円形のほうがおさまりがいいと判断されたのかもしれませんね」
―どちらもありそうです。それにしても、当時としては斬新な建物ですね。
「円形の部分はもともと閲覧室だったところです。16本の円柱で支えられていて、そこから吊り下げられたガラスの箱状の部分は、研究室として使われていました。下を広くとったのは、学生のアクティビティの場所にするため。見通しのいい大きな軒下のような空間に、学生たちが集えるようになっています」
―軒下に空間があると、とても軽やかに見えますね。
「柱と上階のスラブ(床)の接点も、お皿のように丸みをつけた部分で支えるような構造にし、見た目を軽くしています。外壁は『搔き落とし』といって、荒らしたような表面になっていて、光が当たるとちりめんみたいな細かい影ができて表情があります」
―木の葉の影ができて、とても素敵です。
「円形の建物はとても目を引くので、木で見え隠れするぐらいがちょうどいいと思われたのかもしれません。図面を見ると、完成後は植樹をするよう指示されていますし、木を植えることは大事だと、インタビューなどでもよく語られています」
「円神館」の奥、第4学舎エリアに来ました。「第4学舎」は、理工系学部の学舎です。工学部(当時)が設置された1950年代後半から60年代後半にかけて、順次つくられていきましたが、村野さんの手がけた1号館と2号館がまだ現役で残っています」
―いい雰囲気ですね。
「外観はコンクリート打ちっぱなし、粗いテクスチャーのレンガタイルで構成。すっきりとしたデザインですが、目地が深いです」
―1号館の入口あたりは随分、新しく見えますが...。
「耐震改修を兼ねて、2017年に増築された部分です。古い建物だと外壁に鉄骨をX型に加えて補強することもありますが、やはり見た目が良くない。制振ダンパーで新しい建物とくっつけることで耐震補強をしています」
―新しい建物が古い建物を支えてくれているんですね。
「玄関ホールから続く階段周りにも、外壁と同じタイルが使われていたのを一部、残しています。村野さんは階段やスロープのデザインにも定評がありましたが、こちらの階段も、リズム良く上りやすい勾配や、軽快に見せるようにデザインされた段差など、簡素ながら村野さんらしいもの。手すりには握りやすくて、手触りのいい木材が使われています」
―確かに、軽快に上れる気がします。
「いろんなデザインで軽快な階段をつくるのは、村野さんの得意分野。手すりの支柱も華奢なイメージです。それほど変わったつくりではありませんが、単なる折り返し階段ではなく、上がって、3段ほど上がって、また上がる、といった具合に凝っていますよね」
―こちらの階段も3段だけはみ出してますね。
「真っすぐな階段を2つ並べる形でもいいけど、リズム感なのか何なのか、3段加えている。それによって、踊り場の空間が意味を持つというか、舞台っぽい感じになっていますよね」
―なんだか情緒がありますね。
―タイルの雰囲気が1号館とは少し違いますね。
「似たような色合いだし、貼り方や長短の合わせ方なども同じですが、目地の深さや肌合いが少し違います。村野さんは、タイルなどの素材も、つるつるピカピカというより、ちょっとザラッとして優しい感じのものが多いです。ザラザラしていると光が当たったときに影ができ、雰囲気が出る。光の当たる向きや季節で、いろんな表情が出るのも村野さん好みだったと思われます」
―なんとなく優しい雰囲気で、味がありますよね。
「100mほどある大きな建物ですが、足もとが奥まっているでしょう。地面との衝突を避けることで、印象が軽くなるんです。村野さんは、強くぶつかるのは避けた方がいいと、インタビューなどでもおっしゃっています。奥まって影ができるのと、壁がズドンと下まであって地面に接するのとでは全然違いますからね。食器に足がついているのと同じかなと思います」
―大きい建物なのにスッキリした印象なのは、そのおかげもあるんですね。
続いては「第4学舎」の北側、「KUシンフォニーホール」です。1962年に特別講堂として建設され、2007年にKUシンフォニーホールとして生まれ変わりました。
―こちらもまた、独特なデザインですね...。
「地形の勾配を生かして客席とステージがつくられ、演劇や音楽、映画系をはじめ、課外活動や講演会などに幅広く利用されています。今はきれいになりすぎて分かりにくいですが、もともとは丘のようになった土の部分に、打ちっぱなしの変わった形の建物を突き刺したような感じでした。『村野でもこんなことができるんだという気持ちでやりました』ようなことはインタビューでもおっしゃっています」
―村野さんのイメージとは違う、荒々しい、粗野な感じだったんですね。
「ちょうどブルータリズムと呼ばれる、打ちっぱなしで荒々しい感じの作品が注目されていた時代でしたからね。飛びだした屋根は、折板(せっぱん)構造といって、紙の山折り谷折りを繰り返したようにギザギザになっているんですよ。一般的には屋根の下に通す梁(はり)も、屋根の上に通っています。ホールなので真ん中に柱を立てられないから、折板構造で強さをもたせているんですが、デザイン的にも面白いです」
―細かいところにも、独創性を感じますね。
「KUシンフォニーホール」を含む「誠之館」は2号館から8号館まであり、各クラブの部室をはじめ、会議室や練習場といった学生の課外活動の拠点となっています。
―こちらが2号館ですね。
「このあたりは高低差がすごくあって、地形の変化をうまく活用しています。外壁にコの字型の突起があるのは、タイルを裏向けに貼ったため。貼りつけるための突起なんですが、そのパターンが面白いと感じたんじゃないでしょうか」
―課外活動は大学の裏の顔...ともとれますね(笑)。端にある和風の建物も、村野建築なんですね。
「こちらは3号館で、日本文化系のクラブがよく使っている数寄屋建築です。4.5畳の茶室は、裏千家の茶室『又隠(ゆういん)』の写しだと言われています。屋根を金属板で葺いているせいもありますが、屋根がすごく薄くて華奢な感じも村野さんらしい。上に向かって軽く曲がっている"むくり"があって、とても軽やかです。大学の施設なので、高い素材を使っているわけではありませんが、簡素ながらもしっかりとした和室。あっさりといて、良い建築だと思います」
最後に訪れたのは、第1学舎エリアの「簡文館」。現在は博物館展示室として利用されていて、大阪府の指定文化財にもなっています。
―赤褐色のタイルにも、趣がありますね。
「1928年に図書館として建設された部分は、千里山キャンパスに現存する最も古い建物なんですが、そこに1955年、閲覧室として増築した円形の部分を村野さんが設計しました。外壁はところどころ青や緑、黄色のタイルで抽象的な図柄が描かれていて、表情が豊かでしょう。博物館になった今は内側から遮蔽していますが、窓も多彩で、アーモンド型の高窓やガラスブロック、可憐な手すりのついた縦長の窓からも光を取り込んでいました。天井の中央には天窓もあるんです」
―こちらの足もとも奥まっていますね。
「いまは1階の半分が埋まっていすが、もともとはピロティでした。真ん中に丸い芯があって、柱はあっても浮いて見えるような...。当時はここが一番高台だったんですよね。正門から坂道を上がっていくと、一番高いところにちょこんと簡文館のある風景が、昔の卒業生がもっているイメージです。昔は、ここに立ったら大阪の中心部が遠くに見え、キャンパス全体が見渡せるいい景色でした。中に入ってみましょうか」
―とっても美しいらせん階段ですね!
「村野さんがつくるらせん階段も評価が高いんです。第1学舎にも3つぐらいあったんですが、残っているのはここだけ。曲線が軽やかできれいですよね。これを図面に描くのは大変で、既に解体されてしまったほかの場所ですが学生に実測させてみたところ『描けません!』と(笑)。普通、らせん階段って、中心点があって一定の円弧になっているように思いますが、実際に測ったからこそわかったのが下に行くほど直径が小さくなっていたんですよ。見たところわからないぐらいですが、そのおかげで軽やかに見えるのかもしれません。壁面もザラッとした壁面に少し刷毛目が残っていて味がありますよね」
―なんだかタイムスリップしたような気分になりますね...。
―ピンポイントでしたけど、村野建築の魅力を感じられて楽しかったです! 橋寺先生は、キャンパスにある近代建築を残すことについて、どうお考えですか?
「ものとしての価値も大事ですが、ここで過ごした"記憶の器"としても大切なんじゃないかと感じています。学生生活の記憶は、場所や建物に大きく結びついている。10年20年経ってから訪ね、学校がきれいに変わっているのも、それはそれで驚きはするでしょうけど、自分たちが過ごした建物がなくなってしまうのは寂しいと思うんです」
― "自分の大学"という思いが少し薄れてしまいそうですもんね...。
「とはいえ生きた学校なので、更新しないわけにもいきません。性能が劣ってきたときに、すべて建て替えるか改修で手を加えていくか、きめ細かく考え、議論して決めていってもらえたらと思います。世代を超えて、今の学生にとっても新しい思い出、記憶をつくる装置になればいいですよね」
―歴史が続くのも誇らしいですしね。ご案内、ありがとうございました!