自分探しのために大学院へ。歴史研究で培われた探求心
学び
一つひとつの経験が自身の強みと糧に生まれ変わる
/住友電気工業株式会社 初瀬圭さん(文学研究科 総合人文学専攻 2010年修了)
文学研究科で歴史学を専攻し、修了後、非鉄金属を取り扱うメーカーに就職した初瀬さん。研究を深めるためというよりも、むしろ社会に出るための準備期間として大学院進学を選んだ彼女は、専攻した歴史とは全く関連のない進路を選んだ。彼女の中では、単なる遠回りではなく、"意義ある遠回り"だった。
「もともと歴史が好きでしたが、学校の授業で学ぶのは日本や中国、ヨーロッパ、アメリカの歴史がほとんど。中央アジアの歴史はシルクロードぐらいで、自ら進んで学ぼうとしないと学べない地域という点に惹かれました」。大学では中央アジアやイスラム圏の歴史を勉強したいと考え、関西大学文学部に入学した初瀬さん。2年次からは歴史学専修に所属し、4年次の夏に当時の東洋史研究室が中心となって企画したツアーで、中国のウルムチからタクラマカン砂漠を縦断してカシュガルまで訪れたのをきっかけに、さらに周辺の国々への関心が深まった。卒業論文では、ウズベキスタン特有の地域コミュニティ「マハッラ」をテーマに、「ウズベキスタン マハッラにおける日常的慣習と儀式の変容」をまとめた。
一方、他の同級生と同じように学部卒業後は企業への就職を目指していた。歴史を学び、旅行も好きだったことから、旅行会社など観光業界への就職を考え、2年次にはエクステンション・リードセンターで旅行業務取扱管理者講座を受講し、資格も取得。着々と準備を進めていた。しかし、実際に自己分析やエントリーシートを書こうとすると、学生時代に力を入れたこと、いわゆる"ガクチカ"でペンが止まってしまった。「学生時代に夢中で取り組んだものが何一つ浮かびませんでした。こんな自分では社会に出る素質が足りないのではないか、せめて学生時代に一生懸命取り組んだと胸を張れるものを見つけてから社会に出たいと思い、大学院への進学を決めました。その点で、自分にとっては、いわゆる社会に出るためのモラトリアム期間と言えますね」。
大学院では20世紀初頭のロシア革命期の中央アジア史に関心を持ち、当時のソビエト政権下に生きたムスリム知識人の一人、ゼキ・ヴェリディ・トガンに焦点を当てて研究を続けた。しかし、歴史学の分野は調べれば調べるほど先行研究にぶつかり、研究テーマの設定に悩むことも。新しいテーマを模索するための資料を原著で読み解く語学力も一朝一夕には涵養できない。歯がゆさを感じる日々の連続。「来る日も来る日もデータベースで古い文献を探し、そこからまた関連資料を探して......という無限のプロセス。大学図書館の書庫にこもって文献や辞書とにらめっこしても、1ページさえ進まないこともありました」。そんな日々を重ね、もがいていると、「自分の中で後悔も未練もないところまで研究に没頭し、やり切ったという境地に至り、何だか気持ちが晴れました」。学部生の頃には経験できなかった"研究に没頭する"2年間を経て、社会へ踏み出す自信がついた。
初瀬さんが就職したのは、電線やケーブルなど、社会インフラを支える製品を生産する住友電気工業株式会社。研究テーマとは全く分野が異なる。しかし、そこには大学院での歯がゆい経験が志望理由に関係していた。「歴史の研究が取扱うのは自分の目で確かめられない過去の事件や出来事。私はさまざまな文献に当たっても、なかなか成果に結びつけることができませんでした。だからこそ、進路を考えるにあたっては「現地」「現物」「現実」の「三現主義」を大切にしている製造業界、自分の目で見ることができるものを扱えるメーカーに魅力を感じました」。
就職活動中の面接では、よく「なぜ大学院に進学したの?」「なぜ歴史の研究をしているのに企業に就職するの?」と聞かれた。そのたびに社会に出るには遠回りをしていることを痛感させられた。しかし、初瀬さんの脳裏に思い出されたのは歴史家トーマス・カーライルの『明確な目的があれば、どんなに険しい道でも進むことができる。その一方で、目的がなければ、平坦な道でさえ進むことができない』という言葉。「一般的に考えれば、私が選んだ道は自分探しのモラトリアム期を経た分、遠回りをしていますよね。それでもこの言葉に出合ってから、時間がかかっても"社会へ出る"という目的をもって自分が納得した道を進んだことは間違いではなかったと思えました」。
入社後は、同社グループ全体の物流を担当するSEIロジネット株式会社に籍を置き、担当製品の国内・輸出入の物流アレンジ、料金管理などを担当している。大学院での研究を通じて身に付いたのは、正解がない中で納得解、最適解を見つけ出せる探求心だそう。「私が今担当している物流部門は、必要な時に必要なものを必要な場所に適正なコストで運ぶというのが使命。社会情勢や経済動向に左右されやすいので、限られた時間の中で状況を見ながら検討を重ね、最終的な決定を出すことは簡単ではありません。しかし、皆に満足してもらえるような納得解、最適解を導き出そうとする時、大学院での研究を通して、諦めず探求し続けた経験が今の仕事にとても役立っています」。
現在は3人目の子どもの育児休業中であるが、今春には復職の予定。社員が働きやすい環境が整っていることもあり、この仕事を長く続けたいと話す。「大学入学時はまさか自分が大学院に進学するとは想像もしていなかったけれど、結果的にあの2年間が私には人生の転機になりました。経験というものはその時限りで各々バラバラなものと思いがちですが、長い人生においてそれぞれがつながり、自身を形作ります。経験の希少性や大小よりは、経験が2つ3つと増えて掛け合わさっていくことで自分にしかない強みや糧になります。学生の皆さんには、色々な挑戦や経験を次に活かしていくことで、オンリーワンの強みと糧を増やしてほしいですね」。