第4学舎1号館(1960年竣工)

旧工学部が、天六キャンパスから千里山へ移転することが決定して建設された建物です。建設当初は事務室、研究室のほか、教室も含まれていました。コンクリート打放しの柱・梁のフレームと、その間を埋める大判の白色系のタイル貼り。タイルの目地がかなり深く、季節や時間、天候によって、さまざまな表情を見せます。近年、玄関部分に新館を増築し、同時に耐震補強を施しました。外観全体を見渡すことは難しいですが、階段部分は当初のデザインを残しており、大判タイル壁面、木製手すり、薄く軽やかに見える階段床のディテールなどが健在です。

第4学舎2号館(1964~1969年竣工)

1号館に引き続いて建設された規模の大きい建物です。敷地の形状に合わせ、教室棟と研究棟がクエスチョンマークのような形につながっています。高低差のある敷地に、3期に分けて建設されました。外観のデザインは1号館とほぼ同様の構成で、北側の教室棟中央はピロティになっており、教室への出入口や上階への階段が配されています。ピロティにオブジェのように配されたガラス張りのトイレは、デザインのポイントになっています。1本足のユニークなデザインが、現在は見えにくくなっているのが残念です。

KUシンフォニーホール(特別講堂、1962年竣工)

誠之館エリアにある学生の課外活動のためのホールです。音楽会や演劇、映画の上映など、多目的に使われています。現在凜風館の建っている所は、もともと小高い丘状の地形になっており、地中に講堂が埋め込まれたような構成になっていました。地肌があらわな地形に呼応するかのように、建物の外壁は3次元的な曲面を描き、テクスチャーも荒々しいものでした。凜風館建設時に改修され、現在は少々美しくなりすぎた感じがしないでもありません。調光室が飛び出したデザインが西壁面のアクセントにもなっています。

誠之館(1962~1968年竣工)

誠之館とは学生の課外活動のための施設群で、部室や会議室などが数期に分けて建設されました。このエリアは地盤の高さが急激に変わる場所で、南側の道路からは2階建に見える誠之館2号館は、2階レベルで北側の中庭につながっており、地形の変化を建物の配置によってうまく利用しています。外壁はコンクリートでコの字型の突起があるユニークなものですが、これはタイルを裏に貼ったためです。
西端の和室(通称「千里庵」)は、むくりのある、薄くて柔らかな屋根が印象的な村野藤吾らしい数奇屋建築です。ベニア板など廉価な材料を用い、大学建築らしい簡素な茶室となっています。