村野藤吾

村野藤吾

佐賀県唐津生まれ(1891~1984)。早稲田大学卒業後、大阪を本拠に活躍し、数多くの建築作品を残しています。広島の世界平和記念聖堂は戦後の建物として初めて重要文化財に指定されました。1967(昭和42)年に文化勲章を受章しています。
村野は、1940年代後半から約30年にわたり、千里山キャンパスで40以上の建物を設計し、現在の千里山キャンパスのデザインに大きな影響を与えました。村野の建物は多彩ですが、キャンパス内にも色や素材、形もさまざまなものがあります。ここではタイルと階段に注目して村野建築の楽しみ方をご紹介します。

村野とタイル

村野が設計した建物にはタイルを用いた作品が多く存在し、建物ごとに貼り方や色合いが異なっています。
関西大学に残る建物においても、エリアや建築時期によりタイルに違いが見られます。なかでも簡文館では、色が異なる数種類のタイルが使われており、場所によって貼り方にも違いがあります。そうした差異や色の濃淡が、建物の魅力をより一層引き立てています。

【 第1学舎2号館・外壁タイル 】

【 簡文館・バルコニー外壁タイル】

【 誠之館 ・ 外壁タイル】

村野と階段

村野が設計した階段の美しさには定評があります。
千里山キャンパスの中で最も村野らしい優美な階段は簡文館のらせん階段でしょう。薄いスラブ(床)の階段と、社交ダンスのしなやかな腕の振りを連想させる木製手すりのなめらかさに村野らしさが光っています。
大学本部がある関西大学会館のらせん階段は、極限まで薄く作られた鉄製の階段が緩やかなカーブを描いています。自然光が降り注ぐなか、うねる階段を上って最上階にある大会議室へと関係者を導く村野流の空間演出と言えます。
第3学舎1号館正面の階段は、劇場のエントランスのような構成になっています。上階には丸いトップライトが設けられ、廊下と階段の空間は、単なる動線空間にとどまらず、授業の合間の、ちょっとした憩いの空間としての役割も期待されたのかもしれません。第4学舎1号館の階段はシンプルですが、リズムよく上がり下りできる勾配で、手すりは手触りの柔らかい木製です。スラブを薄く、軽やかに見せる工夫も忘れていません。

【簡文館のらせん階段】

【簡文館のらせん階段】

【関西大学会館のらせん階段】

【第3学舎1号館の階段】

【第4学舎1号館の階段】

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