東洋一のグラウンドとは 東洋一のグラウンドとは

  • 東洋一の大総合グラウンド

    現在の総合図書館から尚文館(大学院学舎)にかけてのエリアには、400mトラックと、野球やサッカー、ラグビーなどの施設を併置した約1万坪の大総合グラウンドがありました。多数の観客を収容できる扇形スタンドも設けられ、1926(大正15)年の完成当時は「東洋一」と呼ばれました。

  • 【昭和初期の千里山学舎】

  • スポーツ黄金時代の原動力に

    大運動場の完成は、昭和初期のスポーツ黄金時代を招きました。1932(昭和7)年のロサンゼルス五輪・陸上三段跳びで銅メダリストとなった大島鎌吉をはじめ、4年後のベルリン五輪に出場した陸上部員(6名)や海外遠征で好成績を残した野球部やサッカー部など、数多くのオリンピック選手や名選手がこのグラウンドから育っていきました。

  • 【扇形スタンドを備えたグランド】

  • 東洋一のグラウンドが生んだ
    オリンピアン 大島鎌吉

    1932(昭和7)年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得。1936(昭和11)年のベルリン五輪には日本選手団主将として出場、6位に入賞しました。選手引退後は指導者となり、1964(昭和39)年の東京五輪では日本選手団団長を務め、開会式では選手団の最前列で行進しています。青少年教育や国際交流を推進した功績により1982(昭和57)年、アジアで初の「オリンピック平和賞」を受賞しました。

  • 【1964年 東京五輪日本選手団入場の様子。最前列向かって左端が大島】

  • 【1932年 ロサンゼルス五輪銅メダルを獲得した時のジャンプ】

  • 【1932年 ロサンゼルス五輪陸上男子三段跳びのメダリスト達。向かって右端が大島】