




第1学舎
2、3号館、研究室棟は村野藤吾が設計し、壁面のタイルが特徴的です。
【豊臣期大坂図屏風】
大型の美術陶板で作られ、第1学舎1号館2階ロビーに飾られています。実物は、オーストリアの古都グラーツ市にあるエッゲンベルク城内一室の壁面に貼り込められています。天守閣の構造や極楽橋の存在などから豊臣期の大坂城を描いたものであることが分かっています。



モザイクタイル壁
1955(昭和30)年に竣工し、2005(平成17)年に解体された第1学舎1号館(村野藤吾設計)のエントランスにあったものです。2006(平成18)年、簡文館の新館が建設されるにあたり、移設されました。青、緑、黄色などのタイルにより抽象的な図柄が描かれているのが特徴です。


あすかの庭
第1学舎1号館の前に広がる人工芝の「あすかの庭」は千里山キャンパスのシンボルゾーンの一つです。ベンチやガーデンパラソルなどが設置され、学生たちの憩いの場になっています。


簡文館
1928(昭和3)年に図書館として建設された、千里山キャンパスに現存する最も古い建物です。1955(昭和30)年に増築された円形部分は村野藤吾が設計しました。大阪府の指定文化財になっており、博物館や年史資料展示室、人権問題研究室などが設けられています。


高松塚古墳壁画再現展示室
高松塚古墳は1972(昭和47)年、故網干善教名誉教授の指導のもと、考古学研究室の学生が参加して発掘調査が行われ、日本初となる極彩色壁画古墳として注目されました。当時撮影された写真をもとに、女子群像や四神像、天井の星宿などが描かれた石室を、精緻な大型美術陶板で原寸大に復元しています。


岩崎記念館
1974(昭和49)年に大学院学舎として竣工。岩崎卯一元学長の遺志を受け、受贈した邸宅を売却した費用が建築費の一部に充当されました。岩崎元学長の遺徳を顕彰するため、記念館の前には胸像が建立されています。

岩崎卯一
第17代・19代・20代学長。関西大学初の海外派遣留学生としてアメリカ・コロンビア大学で学び、帰国後、本学初の専任教授となりました。1934(昭和9)年、初代法文学部長になるとともに、1938(昭和13)年には最初の図書館長に選任されました。1947(昭和22)年、本学出身者で初めて学長(第17代)に公選されるなど、関西大学の歴史上、多くの役職で第1号となった人物です。


以文館
両端に八角形のドームを有する建物で、法科大学院や研究施設として使用されています。八角ドームは、1927(昭和2)年に住友合資会社から寄贈された大学本館のシンボルでしたが、建物の記憶をつなぐという意味でその意匠が取り入れられました。

以文館は、千里山キャンパスができたころから存在するクランク状の上り坂をまたぐ形で設計されています。その上のテラスは、かつてこの場所に建っていたクラブハウスが似たような形のテラスを有していたことから、八角ドーム同様、建物のデザインを引き継いでいます。


尚文館
大学院生の研究活動の拠点で、地下1階地上7階建ての建物の中には、マルチメディアパソコン教室や遠隔講義室、ワークステーション教室のほかに講義室や演習室、共同研究室などが多数配置されています。1階のマルチメディアAV大教室では、インターネットを介して国際会議を行うことも可能です。
