KANDAI HEADLINES ~ 関西大学の「今」

謎にせまる! 考古学研究室の前室長、米田先生に聞く
「石舞台古墳の巨大な石は誰がどうやって運んだのか?」

文化・スポーツ

/米田 文孝  関西大学 名誉教授(関西大学飛鳥文化研究所・植田記念館名誉館長)

 ユネスコの世界文化遺産登録への期待が高まる「飛鳥・藤原の宮都」は、奈良県明日香村と橿原市、桜井市に位置する19の遺跡が対象だ。その遺跡研究に、関西大学は古くから深く関わっている。今回は「飛鳥・藤原の宮都」の遺跡の中から、巨石が謎を呼ぶ石舞台古墳について、考古学が専門の米田文孝名誉教授に話を聞いた。

外交が得意だった蘇我氏だからできたこと

 奈良県明日香村にある特別史跡・石舞台古墳は日本最大級の方墳で、7世紀はじめ頃に築造されたと推定されている。ただ墳丘の盛土の大部分が失われており、内部の巨大な横穴式石室が露出しているのが特徴だ。石室を構成する30数個の巨石は多武峰のふもとで採れる花崗岩で、石の総重量は推定約2300t。古墳最大の巨石である天井石は南側が約77t、北側が約64tにもなるという。そんな巨石を、一体誰がどうやって運んだのだろうか。


 そのヒントとして米田名誉教授は「石舞台古墳は蘇我馬子の墓と言われていますが、鍵となるのは『蘇我氏』という存在です。蘇我氏は国外との交渉を担っており、外交を通じて隋・唐や朝鮮半島からの渡来人と深く関わっていました。渡来人は、当時の日本にはない先進的な技術や知識を持つ専門家集団です。蘇我氏はそうした技術や知識にいち早く触れることができ、かつ技術者たちをコントロールする立場にあったのです。」と解説する。

 渡来人がもたらした技術の中には、土木技術も含まれる。「すでに戦前の発掘調査のとき、現代でいう滑車やコロ、木ゾリ(修羅)など、先進的な道具や技術を使ったのではないかと推測されています。」と米田名誉教授。滑車は軽い力で重いものを持ち上げるようにする道具、コロはものを運ぶために転がしながら使う車輪のようなもの、修羅は重いものを運搬する大型のソリのこと。これらを組み合わせることで、石舞台古墳の巨石を運んだり持ち上げたりしたと考えられている。

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石舞台はこうやって作られたのでは?

石舞台古墳は権力を見せつけるための政治的モニュメント

 巨石ばかりに目が行きがちな石舞台古墳だが、古墳の構造や成り立ちも非常に興味深いと米田名誉教授は話す。

 石舞台古墳が築造されたのは、古墳時代が終わり飛鳥時代に入ってしばらく経った頃のこと。古墳時代にはヤマト政権の秩序の下、権勢を誇示する巨大な前方後円墳が築かれた。全長約486mもの大きさがある大山古墳(伝仁徳天皇陵)はその代表だ。しかし、中央集権国家が誕生することになる飛鳥時代には古墳のあり方が変わる。

 「6世紀末頃に、前方後円墳の築造は一斉に終わりを迎え、古墳の形や大きさ、副葬品の種類や数量の多寡などで社会的なポジションを示す時代から、地位や役職を天皇が授けた冠の色で区別する時代に転換しました。ところが、石舞台古墳は外から見える部分は方墳という新しい時代の方針に従いながらも、その内部は伝統的な横穴式石室が構築されています。内部空間は巨大であり、社会的な秩序を超えない範囲で最大化したことが考えられます。」

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エジプトのピラミッドも王の墓だが、国王が存命中から造られてきた。
「日本は亡くなられた後に墳墓を造営するところに特徴があります」と米田名誉教授

 しかも、石舞台古墳はの築造にあたっては、蘇我一族のものとみられる古い古墳群を整理しており、一族の力を結集するかのように、その上に外堤を築造したことが確認されているという。


 「一族の墓を潰すのではなく"片付けた"上で、石舞台古墳をつくっているのです。そうすることで、『蘇我本宗家』を表徴する効果を狙ったのでしょう。『日本書紀』によると、蘇我一族が結束して蘇我馬子の墓を築造しており、この状況を彷彿とさせます。また、古墳のある場所も象徴的で、宮都を見下ろすような小高い丘陵上にあり、遠方には記紀や万葉集にみえる二上山を望む位置につくられています。飛鳥時代は国家のあり方が大きく変わり、『第一の文明開化』の時代とも言われています。随・唐の統一や朝鮮半島での三国抗争など、東アジアが緊張状態にある中で、急速に政治改革が進められました。そのような中で、天皇と並び立つほどの権勢を持つようになった蘇我氏が権勢を誇示したのが石舞台古墳の築造であり、政治的モニュメントの意味も持っているのです。」

米田 文孝 ─ よねだ ふみたか
1953年生まれ。関西大学大学院文学研究科日本史学修了。博士(文学)。1997年に関西大学に着任し、文学部考古学研究室で研究・教育に携わり2024年に退職、名誉教授となる。専門分野は日本・南アジア考古学、博物館学。著書に『史跡牽牛子塚古墳環境整備事業に伴う事前調査報告(共著/明日香村教育委員会)』、『都塚古墳発掘調査報告書(共著/明日香村教育委員会)』、『園精舎―サヘート遺跡発掘調査報告―』(関西大学日印共同学術調査団編/関西大学出版)など。