直木賞作家・一穂ミチ
書き続けることで たどり着いた場所
関大人
/作家 一穂 ミチ さん(社会学部 2000年 卒業)
大学時代から始めた二次創作活動をきっかけに、才能を見出されて飛び込んだ一般文芸の世界。そのしなやかな文体と予測不能なストーリーで読者を引き込み、抜群の発想力で人気作家の仲間入りを果たした一穂ミチさん。コロナ禍に生きる人々を描いた『ツミデミック』では第171回直木賞を受賞した。これまでの歩みと創作に込める思いについて話を聞いた。
子供の頃から読書家の母親に連れられて図書館によく通った。ジャンルにとらわれず、さまざまな本を手に取って読書にふける日々は今でも続く。中でも中高生時代に読んだ『苦海浄土―わが水俣病』(石牟礼道子)や『硝子戸の中』(夏目漱石)は忘れられない。自ら選んだ本ではなく、教科書の中で出会った文章に心をつかまれたからこそ、長く記憶に刻まれているという。
人の心に潜む"不思議"に惹かれ、心理学を学ぶため関西大学社会学部へ進学。産業心理学を専攻するも、アンケート調査や統計分析など想像以上に理系的なアプローチが必要だった。「尺度づくりや有意差の検証で苦労したのは強く印象に残っていて。ということは、どこかで役に立っているんだなと思います。理系的な学びが実は作品づくりに生かされているかもしれませんし、アンケートの実地調査など地道な努力は何事にも大切なことだと思います」。キャンパスではやはり図書館によく足を運び、作家になった今では大学を舞台に執筆する時、母校の風景を思い描くのだそう。
そんな大学時代に始めたのが既存作品の二次創作だった。当時、二次創作を載せる個人サイトや同人誌が流行し、一穂さんも自分でサイトを作って次々と作品を掲載していた。大学卒業後、就職してからもコツコツと書き続けていたが、そんなある日に転機が訪れる。

同人誌の即売会で、編集者から「商業誌でオリジナル作品を書きませんか?」と声を掛けられた。最初はアルバイト感覚で気軽に書き始めたが、『イエスかノーか半分か』がアニメ映画化され、劇場でも人気を博した。
やがて他社の編集者からも誘いがあり、現在の作家活動がスタート。「私の中では、好きでやっていたことが、流れに任せていたら自然とここにたどり着いたという感覚です」。
自分が納得できる作品を生み出し続けることが難しい作家活動。毎回不安を抱えて四苦八苦しながらも、書き続けていてよかったと感じる瞬間がもちろんある。「私は強く訴えたいことや言いたいこと、そういった強烈な動機があって書くタイプではないんです。それでも思いがけない表現がふっと出てきて、『このために書いていたんだな』と腑に落ちる。その瞬間ホッとします」。

2024年にはコロナ禍に生きる人々を描いた『ツミデミック』で第171回直木賞を受賞。うれしさよりも「もう直木賞のことを考えなくていい」という安堵の気持ちが大きかった。過去に2作品がノミネートされたこともあり、何を書いていても頭の片隅では直木賞のことを考えていた。しかし受賞したことで、執筆に向かう気持ちが随分と楽になったのだそう。
受賞後、選考委員の一人に「書き続けなさいよ」と声を掛けられた。大きな文学賞を受賞すると、燃え尽き症候群やプレッシャーでキャリアが途切れてしまうケースも少なくない。一穂さん自身も、解放的な気持ちがある一方で受賞者として荷の重さも感じていた。「けれど、『この作家はこれからも書き続ける』と信じてくださったのだと思うので、その期待だけは絶対に裏切るわけにはいかない。たとえこの先に書いたものがつまらなくて、結果、転んでけがを負ったとしても、その場から動かないという選択肢は私にはありません」。
直木賞を受賞した今も会社勤めを続ける"兼業作家"としても知られている。「肉体的には、しんどいと思う時も正直あります。スケジュールを調整したつもりでも、結局は団子状態になっていて青ざめたり(笑)。ただ私は残念ながら四六時中書いていたい作家ではなくて。勤務時間中には小説を書けないので、必然的に『書かなきゃ』という思いからは解き放たれているんです」。会社員と作家、それぞれに向き合う時間が日々のルーティンとなって、互いに良い気分転換になっているという。

2025年11月からは、大正時代の大阪で活躍した画家・島成園の生涯を描く連載『灰に塗れ』が河北新報で始まった。美術展で見た彼女の自画像には、実際にはないという大きな灰色の痣が描かれていた。その鮮烈な印象が忘れられず、いつか島成園を題材にして書きたいと思っていた。しかし彼女の生涯を記した年表には空白も多い。その時期に何があったのか、この行動にはどんな意味があったのか、と頭を巡らせる日々は、かつて二次創作に明け暮れていた頃と同じ"妄想"の作業をしているような懐かしさもあるという。
新聞連載というスタイルは今回が初で、「いつか新聞連載ができたら」と話していたことが実現した。「その時は深く考えていませんでしたが、後になって新聞は連載の中でも一番大変だということが分かって、既に少し後悔しています(笑)。けれど私の本を手に取ることがなかった層の方が読んでくださるかもという期待はありますね。だからこそ達成したら、なにかしら自分の財産になっていると信じています」。
最後に学生へのメッセージを聞いた。「やりたいことは、先延ばしせず今やってください。若い頃に"お金と時間ができたら"と思っていたことも年を取ると体力的に難しく、皆さんの若い身体が本当にうらやましいです。私にはないものを、皆さんは全部持っている――その実感が湧かないところも含めて若さだと思います。吉原幸子さんの詩に、こんな一節があります。『はじめに来るのだよ/痛くない 光りかがやくひとときも/でも 知ってから/そのひとときをふりかへる二重の痛みこそ/ほんたうのいのちのあかしなのだよ』。いつか皆さんがこの"痛みのない若い日々"を振り返って、胸を痛ませる時まで私は作家でいたいです。そしてその時、私でなくてもいいので、誰かの物語があなたに寄り添ってくれることを願います」。