キューバ駐在日本大使に聞く "外交の使命と歩み"
関大人

/駐キューバ特命全権大使 中村和人 さん(法学研究科 1987年 修了)
カリブ海に浮かぶキューバ。その首都ハバナで、日本外交の最前線に立つのが、駐キューバ特命全権大使・中村和人氏だ。関西大学第一高等学校、法学部、大学院で学び、国際法との出会いを契機に外交官の道を歩んできた。
今回、高校から大学院まで机を並べた同窓生が現地ハバナを訪ね、中村氏と、同じく関西大学出身で外交活動を支えてきた夫人・美由紀さんに、これまでの歩みと外交の現場について直接話を聞いた。以下、中村夫妻へのインタビュー。

──外交官の仕事を選ばれた理由を教えてください。
中学生の頃は社会正義を貫く検事にあこがれました。当時、関西の私立大学の中で司法試験の合格者が一番多かったのが関大。併設校の関大一高に入れば目標に近づくと考えました。一方、海外に行きたい希望もあったので、大学は法学部ながらESS(英語研究部)に入りました。当時の自分は、英語で議論し、自分の考えを伝える活動に強い関心があり、部活動に没頭する毎日でした。選んだゼミは、国連人権小委員会委員も務めた国際人道法の権威、竹本正幸教授(故人)の国際法。授業を受けるうち、次第に国際法を仕事に生かせたらと思うようになり、気づくと外交官を目指していました。
──竹本正幸教授のゼミでの思い出を教えてください。
毎回原稿用紙10枚以上のレポート提出を求められました。当時法学部では卒業論文はありませんでしたが、竹本ゼミはゼミ論文の提出が課されていました。先生からは授業中少しでもあいまいなことを言うと、『それ本当!?』と厳しく指摘されました。しかしその指摘が核心を突いていて緊張感がありました。先生は条文の類推解釈や拡大解釈に慎重で法律をとても厳格に解釈される。とはいえ授業を離れると、"和やかな酒飲み"、毎回ゼミの後は先生のおごりで学生通りの中華料理店で餃子をあてにビール。夏休みには先生の故郷山口・萩への旅行。ゼミ仲間と無邪気に「世界」を語り合っていました。

──その後大学院でも学ばれ、外務省専門職員採用試験に合格。1987年4月に外務省に入省されました。どんな国々を回られたのでしょうか。
スペインでの語学研修後、ペルー、アルゼンチン、チリ、エルサルバドル、メキシコと。東京の本省では、欧州局、経済協力局、国際法局、経済局と進み、欧州局のアジア欧州会合(ASEM)室長に。その後ニカラグアに初めて大使として赴任しました。約2年8か月の勤務後、2024年10月からキューバ大使を務めています。

──ラテンアメリカでの勤務が長かったようですが。日本とラテンアメリカ諸国との関係についてお伺いできますか。
ラテンアメリカ諸国は地理的に離れていますが、日本と価値観が近く豊富な資源・エネルギー・食料を日本に輸出する重要なパートナーです。特に世界最大の日系人社会は友好の橋渡しとなっています。正直で勤勉な日系人に対する信頼は絶大で、中南米外交を進める上で大きな糧です。またJICA等の技術協力で派遣された技術者や現地邦人企業の仕事ぶりも高い評価を得ています。現地の方は数十年前の援助についてお金や物でなく、当時派遣された日本人の仕事ぶりを熱心に語ります。人は人との関係しか記憶に残らない。先人たちの長年の地道な積み重ねが信頼を生み、言葉以上に大きな力を持っています。駆け出しの頃、「右手で握手、左手にナイフ」的なアプローチをスタイリッシュに感じましたが、長い目で見れば日本人らしさを生かした「対日信頼ブランド」こそ何よりも大事だと今は確信しています。
──外務省に入られて足掛け40年になりますが、あらためて外交官の魅力、仕事で得られたものを教えてください。
華やかなイメージがありますが、実際には国家間の信頼関係を地道に積み上げていく地味で黒子的な仕事がほとんどです。心身ともにハードな仕事ですが、外交の最前線で歴史的な現場に立ち会える感動や興奮は苦しみに勝ります。一方、力の支配が横行する国際社会では、人であれ国家であれ規律や理念だけでは動かない冷徹な現実に何度も直面しました。テロやクーデター、内戦の悲惨な傷跡を間近に見ると、生き残りを賭けた生存本能が理性に勝る迫力に圧倒されます。平和の尊さを改めて実感しつつ、日本の安全保障に不安も感じます。仕事を通じて体感した葛藤や教訓は自身の考えや物の見方を省みる契機となりました。

──外交の現場で培われたものは。
国家間の関係も対人関係も人の営みに変わりなく、良好な関係を望むなら先ずは相手の気質や内情を理解し先方の警戒を和らげることが肝心だと学びました。語学や説得のロジックはもちろん重要ですが、相手に聴く耳を持ってもらわないと始まりません。交渉では、たとえ有利な状況でも謙虚に接するようになりました。相手に一泡吹かせれば溜飲は下がりますが、未来永劫続く関係では好結果につながりません。相手にも面子があります。 とりわけ国家間の関係では、近視眼的な利害を超え100年後の恩返し、100年後の意趣返しが起こり得る世界なだけに、歴史的な責任を肝に銘じて対応するようにしています。

──そうは言っても、国家間で利害が対立することもあると思いますが。
はい、互いの価値観や原理原則、事実認識が著しく異なる場合、これに対峙することは必要です。場合によっては決裂も覚悟します。ただ対峙、決裂することは目的でなく、より重要なのは先行きや落ち所を念頭に置いたプロセス。制度や体制、政策の異なる国家間の対立に注目が集まりがちですが、正義は国によって異なるため単純な善悪二項対立で理解するのは危険です。切り離せない相手との関係はさまざまな利害が絡む重層的なつながりがありますので、個々の利害得失を踏まえて最適解を模索する根気強い作業が求められます。法の支配に基づく国際秩序の維持強化に努めることはもちろんですが、国益確保の観点から現実的に対応することも必要な場合があります。
──中東情勢、中南米情勢が緊迫の度合いを強めています。ベネズエラは年明け早々に米国の武力攻撃を受けました。米国の次の矛先はキューバとも言われています。そんな中で日本外交のとるべき道は。
ここ数年のキューバは革命以来最大の経済危機にあり、日本はハリケーン被災地への復興支援をはじめ、キューバ国民の窮状を緩和するための人道支援も行っています。このような状況の中、キューバと米国の関係が更に厳しさを増していることを大変憂慮しています。日本と米国は基本的価値と戦略的利益を共有する同盟国、また日本とキューバは長い交流の歴史に基づく友好国なので、米国とキューバの関係改善は日本にとって極めて重要です。日本としては、今回の危機が両国間の対話と和解に向けた建設的な一歩となることを強く期待する立場から、米州地域の安定化に向け関係国と連携しつつ外交努力を続けていくことが重要です。
ちなみにベネズエラの佐藤靖大使も関大卒業生で、同大使夫人と私は入省同期だった縁もあり家族ぐるみで懇意にしています。佐藤大使とは、各々の赴任国で互いに置かれた状況が似ていることから問題意識を共有しています。
妻・美由紀さんは文学部英文学科卒業で、中村氏とはESSで同期だった。卒業後に航空会社の客室乗務員(CA)になり、同氏の入省後に結婚。同氏のスペイン研修期間を含め、ご長男が国内の中高一貫校在学中を除き、ほぼ同氏に帯同して海外を"渡り歩いた"。外交官人生を二人で歩んできたと言っていい美由紀さんにも話を聞いた。
──海外生活への不安、戸惑いはありませんでしたか。
不安や戸惑いはなかったです。また、夫に帯同との意識もなく、いろいろな国を見たいという自分自身の好奇心がたまたま一致したように思います。同級生なのでお互いに主従の感覚はなく自然体でした。


──前任地のニカラグアからは大使夫人。各国のナショナルデーなどのレセプションには夫婦で参加することが多く、一日に数軒はしごすることもあるそうですね。
毎年天皇誕生日の頃に大使公邸で開く日本のナショナルデーには政府高官や各界代表者、各国大使、日系人の方々がたくさんいらっしゃいます。2025年はキューバで400人近く集まりました。決まりはありませんが、やはり着物でおもてなしします。異なる文化の中で相手に寄り添う姿勢はCA時代に身についた感覚でやっています。日本外交の一翼を担うみたいな大げさな意識はありませんが、日本の伝統や文化の理解増進に少しは役立っているかもと思います。

そんな美由紀さんに、中村氏は「長男が思春期の難しい時期に、日本での子育てを彼女一人に任せました。苦労したと思います。うまく乗り切れたのは妻のおかげ。感謝しかありません」。それを受けて美由紀さんは、「振り返ると大変なこともありましたが、海外での生活は自分自身の視野を広げる上で大きな学びの連続でしたし、日本の長所や短所、ありがたさを実感する上でも有益でした」と話す。
──最後に、現役の関大生へのメッセージをお願いします。
昨今の厳しい経済状況を見ると地に足のついた堅実さが大事だと考えがちですが、より広い世界を求めてチャレンジできるのは若い時だけ。もし国際的な仕事に就くことを目指すなら、臆することなく目標に向かって邁進してください。公私ともに楽しめる世界であることを約束します。
キューバでの別れ際、中村氏は、「『行く行く』と言っていた多くの知人の中で本当に来てくれたのは君だけやった。ありがとう」と見送ってくれた。
