KANDAI HEADLINES ~ 関西大学の「今」

すべての人に届ける「ハピネス」のつくり方
~変わらない理念、変わり続ける勇気~

ビジネス

/株式会社オリエンタルランド 代表取締役社長(兼)COO 高橋 渉 さん
/学校法人関西大学 理事長 芝井 敬司


 「夢と魔法の王国」東京ディズニーランドと、「冒険とイマジネーションの海」東京ディズニーシーの2つのテーマパークを中心に、ホテル、商業施設、モノレールなどが一体となった東京ディズニーリゾート。
 2025年4月、その運営会社である株式会社オリエンタルランドの新社長に就任したのが、関西大学卒業生の高橋渉氏。
 千葉県浦安市舞浜の同社を芝井敬司理事長が訪ね、在学中の思い出から、東京ディズニーリゾートのあゆみや事業展望、若者たちへのメッセージまで語り合った。

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地元・浦安から大阪・関大へ。下宿は梁山泊

芝井
 高橋社長は、千葉県のご出身とお伺いしました。
高橋
 実はまさにこの場所、浦安市の出身です。生まれも育ちも浦安で、大学の4年間だけ大阪の関西大学で過ごしました。
芝井
 本学は関西出身の学生が多く、当時は特に関東出身の学生は珍しかったと思います。なぜ関西大学に進学されたのでしょうか?
高橋
 最初は関大のことは知らなかったのですが、高校生の時に同級生から良い大学だと聞き、志望校の一つにしていました。東京で地方試験があり、関東の大学より少し試験日が早かったので受験してみたら、運良く合格をいただいたので進学を決めました。親戚もおらず全くの単身でしたが、次男ということもあり、チャレンジができる環境でしたので思い切って進学を決めました。
芝井
 当然ながら下宿をされていたと思いますが、大学の近くだったのでしょうか?
高橋
 下宿先は大学の正門から50メートルほどの場所でしたので、すっかりたまり場になりましたね。いつも鍵を開けていたので、私が帰宅すると知らない学生がいることもありました。
芝井
 まるで『水滸伝』の梁山泊のようですね。文学部ではアメリカ文学を専攻され、多田敏男先生のゼミだったそうですね。多田先生は英文学科の重鎮で穏やかな先生でしたが、卒業論文の指導は厳しかったと聞いています。
高橋
 『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』などマーク・トウェインの作品を研究し、卒論としてまとめました。先生からは「よくできている」とおっしゃっていただき、うれしかった記憶があります。
芝井
 課外活動では、クラブやサークルに所属されていたのでしょうか?
高橋
 「京の風情会」という、京都を散策・調査するサークルに入っていました。写真班や文学歴史班、工芸班、喫茶店班、ガイドブック制作班などに分かれて京都を散策し、年に1~2回「京風展」というイベントを大学生協で開催していました。執行部も務めるくらい、サークルでの活動に力を入れていましたね。
高橋
 「静かに去り行く春の日に......さればいざ歌わんかな......」と口上から始めて、仲間たちと肩を組んで関大の『逍遥歌』を歌ったのも良い思い出です。千里山キャンパスにまだ第1グラウンドがあった時代でしたので、そこで友人たちとソフトボールにも打ち込んでいました。あと関大前の「フタバボウル」と「阪急ビリヤード」には通い詰めたものです。おかげで社内のボウリング大会で優勝したこともありますよ。
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(左)サークル活動に力を入れていた学生時代。所属サークル「京の風情会」の仲間たちと(前列左:高橋氏)
(右)大学生協で開催していたイベント「京風展」
高橋
 アルバイトでは北新地でお花を配達する仕事をしていました。そこでは大阪の言葉や考え方などを教わり、大学生のうちに大阪弁はすっかりネイティブレベルになりました。決めつけはいけませんが、地域によって着眼点や価値観などの違いはあると感じています。相手のバックグラウンドとなる地域の文化を理解すると距離も近くなりますよね。学生時代の経験は今でもビジネスで関西の方とお話しする時に役立っています。

アメリカ文学からディズニーの世界へ

芝井
 大変充実した学生生活を過ごされたようでうれしいですね。卒業後の進路はどのように考えておられたのでしょうか?
高橋
 文学部では教職課程も履修していましたので、英語教師も視野に教育実習にも行ったのですが、自身には他の仕事が合うのではないかと考え、別の進路を考えました。OA機器の商社等から内定もいただいていましたが、最終的に一番興味を持った会社がオリエンタルランドでした。
 オリエンタルランドのことは、地元・浦安沖の埋め立て事業を進めている会社として当然知っていました。親が漁師をしていたこともあり、身近な話題でもありました。気になって調べてみると、ウォルト・ディズニー・カンパニーと契約してテーマパークを建設する計画があることを知り、直感で面白そうだと。そして、その計画の中には私が関大で研究した「トムソーヤ島」もありまして、運命を感じました。面接でも『トム・ソーヤーの冒険』の話を力説して採用してもらいました。東京ディズニーランド開園2年前のことです。
芝井
 アメリカ文学とディズニーは深い関係がありますので、就職のご縁につながったのですね。
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東京ディズニーランド開園に向け、資金調達に奔走

芝井
 入社当時の会社はどのような様子だったのでしょうか?
高橋
 東京ディズニーランド開園に向けて埋め立てを終え、地盤改良工事の時期でした。入社してまず担当した仕事が建設費の予算管理でしたが、お世辞にも管理できているとは言えない状態でしたね。その理由は、「作りながら考える」ため、もちろん設計図はありますが、「やったことがないことをやろう」と計画が常にアップデートされます。さらに既製品はなくすべてが特注品ですので、コストがどんどん膨れ上がっていきました。
 東京ディズニーランド建設に係る総事業費は約1,800億円でしたが、開園前で営業収入がほぼないため、資金は金融機関から協調融資での借り入れが必要でした。しかも長期金利が9%台というような高金利の時代。京成電鉄と三井不動産の後ろ盾があるとはいえ、大変厳しい資金繰りで、小切手を片手に銀行や手形交換所がある大手町界隈を走り回っていました。
高橋
 その合間には、自治体や金融機関の方が建設現場の視察に来られるので、4WDの車を運転して「こちらにジャングルクルーズができる予定です」と案内もしていました。ソフトボールで得た体力が役に立ちましたね。当時はどの金融機関も「そんな施設が本当にできるのですか?」と半信半疑。「遊園地と何が違うのですか?」と聞かれることも多々あり、ディズニーランドの独自性を一つ一つ説明しながら、実は私も本当にできるのか内心では同じように感じていました。
芝井
 遊園地との違いのお話、ぜひ詳しくお聞かせください。
高橋
 ディズニーランドは遊園地と違って「テーマパーク」なのです。東京ディズニーランドでいえば、「アドベンチャーランド」は自然豊かな冒険の世界、「ウエスタンランド」はアメリカ西部開拓時代、隣の「ファンタジーランド」はおとぎ話の世界など、エリアごとにテーマがあり、地面の色なども違います。キャストのコスチューム(制服)やゴミ箱まで、すべてテーマに沿ったデザインで統一しており、細部まで演出にこだわっています。当時、日本にはまだテーマパークという概念がなく、この説明には大変苦労しましたね。
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初代IR課の課長時代

株式上場とリゾート化へ。オリエンタルランドの飛躍

芝井
 東京ディズニーランド開園前がやはり一番大変な時期でしたか?
高橋
 開園前と会社が上場する時ですね。東京ディズニーランドは1983年4月15日に開園しましたが、その後社内では株式市場への上場を目指す動きがあり、私は上場準備の担当に選ばれました。東京ディズニーシーの建設計画がある中で、これ以上銀行借入で資金を賄うのは厳しい状況。そこで株式公開によって資金調達の幅を広げようという方針になりました。しかし、当社のような当時未上場の企業がいきなり東京証券取引所の第一部上場を目指すというのは、想像を超える過酷さでした。審査を経て、無事上場を果たしたのが1996年。それまでの4年間はとてつもなく働きましたね。上場後は優秀な人材も続々と集まり、会社として大きく飛躍した時期でした。
 また振り返ってみると、やはり東京ディズニーランドに加えて 東京ディズニーシーが誕生し、そして2つのディズニーホテル、さらにそれらを結ぶモノレール「ディズニーリゾートライン」が完成し、舞浜駅前の商業施設「イクスピアリ」も含め、一つのテーマパークから「東京ディズニーリゾート」へと進化していった頃が、オリエンタルランドのターニングポイントだったと思います。
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1996年、東京証券取引市場第一部上場当日の写真
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2000年に開業した「イクスピアリ」は東京ディズニーリゾートの玄関口・舞浜駅前に
140店におよぶショップとレストラン、映画館を擁する大型商業施設

ディズニークルーズ就航。新たな魔法の旅へ

芝井
 2028年度には日本を拠点とする「ディズニークルーズ」の就航も構想されていますね。ウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOロバート・A・アイガーの自伝にクルーズ船の話もありました。御社が計画する今回のクルーズ事業は、先行する世界中のディズニー事業を手掛かりに、お客様に特別な体験を与えることができると確信して構想されたのでしょうね。
高橋
 現職に就く前は経営戦略本部長として、世界中のディズニーパークやクルーズ船などを視察してきました。その上で、東京ディズニーリゾートとして次に何にチャレンジすべきかを社内で検討した結果、新事業としてディズニークルーズが動き出すことが決まりました。もちろん東京ディズニーリゾートもさらに充実させていく予定ですが、クルーズ事業はまず土地の制約がないことが大きい。就航予定のクルーズ船は日本最大級の大きさで、約4,000人の乗客を収容し、約1,200室の客室に約1,500人のキャストが従事します。私たちのクルーズ船のベースでもあり、すでにアメリカで就航している「Wish」は、大規模な劇場やウォータースライダーのあるプールなども備えた本当に素晴らしい客船であるので、これらを参考にゲストの皆さまに充実した時間を過ごしていただける内容としていきたい。クルーズ船の中にはドレスコードが厳しかったりするものもありますが、例えばジーンズやハーフパンツでもOKで誰でも気軽に楽しめるファミリーエンターテイメントを体現したクルーズ船を目指しています。
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ディズニークルーズ船「Wish」

体験価値の向上で特別な1日を

芝井
 ファミリーエンターテイメントでいえば、私の娘が子供を連れて東京ディズニーランドに行く時に、優先的にアトラクションを予約できる有料サービス「ディズニー・プレミアアクセス (DPA)」が助かっていると話していました。国内では先駆的な取り組みだったと記憶しています。
高橋
 DPAの導入にあたっては社内でもさまざまな議論がありました。しかし、特に遠方から来られるゲストにとっては、パークでの体験は特別な1日です。もちろん列に並んで体験いただくこともできますが、時間を有意義に使って楽しみたいという方々のニーズに応えたいという想いからサービスの導入を決定しました。
芝井
 DPAは、その日の体験の質が上がるということを考えて導入されたのですね。
高橋
 ゲストの体験の質、顧客満足度は大変重要な指標です。コロナ禍前は紙チケットで当日券も販売しており、それを購入するために並んでいただいていました。コロナ禍では約4カ月間の臨時休園を経て、国や自治体等からの要請もあり、1日の各パーク入場者数をコロナ禍前より制限して営業を再開しました。このコロナ禍をきっかけに紙チケットを原則廃止し、ペーパーレスのシステムに移行。大変な時期でしたが、結果としてゲストの安全や利便性、体験価値の向上を改めて検討する貴重な機会になったと思います。
芝井
 コロナ禍の時、私は学長でしたが、大学でも授業をすべて休講、キャンパスを閉鎖しなければならない期間がありました。大学では一番早く対策本部を立ち上げ、緊急事態宣言が発出された際には、他大学に先駆けてオンライン授業を実施し、学生たちの学習機会を確保しました。対策本部ではまず学生の安否確認、マスクや消毒液の確保と備蓄確認をしましたが、いくらシミュレーションしていても平時と有事の違い、現場での判断の難しさを経験しました。
高橋
 新型コロナウイルスが流行し始めた頃、私はリスクマネジメント委員会の委員でした。当社でもマスクの調達や備蓄状況を日々確認し、大切なゲストとキャスト・従業員の安全対策をどう確保するか、その判断は大変なことでした。ゲストとキャストの健康と安全を最優先に考え、徹底した感染防止対策を議論した上で、従業員一丸となってパーク運営を行っていましたね。
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あなたと社会に、もっとハピネスを。

芝井
 オリエンタルランドの企業理念・ミッションについてお伺いできればと思います。パーク運営については、ディズニーランドの生みの親、ウォルト・ディズニーの理念を中心におきながら、時代の変化に合わせて取り組まれてきたと思いますが、オリエンタルランドの現在の経営方針を教えていただけますか?
高橋
 2025年4月に「2035年長期経営戦略」を発表しました。その中で最初に掲げているのは、「あなたと社会に、もっとハピネスを。」という言葉です。ここでの「あなた」とは、パークを訪れるゲストをはじめ、キャスト・従業員たち、取引先など関係するすべての方々のことです。そのすべての方々と、私たちを生かしてくれる社会にハピネス(=幸福)を届けていく。それが私たちの使命です。その使命を果たすことによって、持続的な成長、サステナビリティが必然的に生まれてくるという考え方です。
 もともと東京ディズニーリゾートの用地は、浦安沖の海面を当社が埋め立てる代わりに千葉県から譲り受けた「公共の土地」です。そのため、公共の文化・厚生・福祉に寄与し、社会に還元することが私たちのミッションだと考えています。なおかつ従業員が生きがいややりがいを持ち、ゲストに心から楽しんでいただける場所を提供する。日々の生活では誰しもさまざまな悩みや苦労があると思いますが、この東京ディズニーリゾートでは、それらすべてを忘れて非日常の世界を体験していただきたい。このような体験が実現できた時、ゲストにとって忘れられない、人生の豊かな思い出の一つになるでしょう。例えば子供の頃にパークに連れてきてもらった方は、親世代になった時に自分の子供とパークを訪れ、思い出が積み重なっていく。世代を超えた思い出の循環や連鎖が、私たちの目指すファミリーエンターテイメントのかたちです。ハピネスを創造する素晴らしい世界をずっと届けていきたいと思っています。
高橋
 そのためには、同じことを続けるだけではいけません。ウォルト・ディズニーの言葉に「ディズニーランドは永遠に完成しない。この世界に想像力が残っている限り、成長し続ける」というものがあります。パークは常に進化し続けるという考えを表現した言葉です。大切に残していくものと、変えていくものを丁寧に見極めながら、新しい体験や発見につながる出会いをどんどん提供していきたいと考えています。
芝井
 私たちの世代が子供の頃は、金曜日の夜に『ディズニーランド』というテレビ番組がありましたよね。その日だけは親が夜更かしを許してくれて、ディズニーアワーを楽しんだ思い出があります。また、私の妻は幼い時にアメリカ・アナハイムのディズニーランドを訪れたことがあるのですが、当時の経験はよく覚えているようで、東京ディズニーランドが開園する時はもうワクワクしながら「いつ行こうか」という話をしました。こういったかたちで人は記憶を心の中に留めていて、単に記憶を回顧するだけではなく、次のステップにつなげていこうとするものなのですね。
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2026年に開園25周年を迎える東京ディズニーシーでのアニバーサリーイベント"スパークリング・ジュビリー"
開催期間:2026年4月15日(水)~2027年3月31日(水)

「考動」することで見えてくる新しい世界

芝井
 「コスパ」や「タイパ」という言葉が若者世代に浸透していますが、目に見える効果や利益を重視しすぎている傾向があるのではと感じています。計算通りにうまくいくことばかりではありません。関大生や若者たちにアドバイスをお願いできますでしょうか。
高橋
 今は情報が氾濫していますし、空気を読む同調圧力も強い時代ですよね。学生の皆さんに伝えたいことは、やはりまずはアクションをしてみること。最初から無理だと判断せず、少しでも行動すれば、そこで初めて見えてくる新しい景色があります。社内の会議でも「できない」と言うより「少し動いてみよう」とよく伝えています。何も行動せず、いきなり何かを成し遂げることはできません。考えて行動して、考えて行動して......その連続で世界が開いて、可能性が見えてきます。
 そしてもう一つ、SNSの世界だけに閉じこもらず「人と会ってみること」が大切だと考えています。大学時代の経験からも先輩後輩や友人たちと出会い、人と人とのつながりから何かが生まれていくということを学びました。当社にも関大の卒業生がいますので、関大会として懇親会をしたこともありますよ。また、経済効果を研究されている宮本勝浩先生をはじめ関西大学の先生方の活躍をテレビ番組などでお見掛けするとうれしく、私も負けないよう勇気を持って挑戦を続けていきたいと感じます。
芝井
 改めて、浦安市のご出身で、マーク・トウェインなどのアメリカ文学を学ばれた方が、東京ディズニーリゾート運営会社の経営者になられるなんてドラマのようです。ディズニーに導かれた高橋社長のさらなるご活躍と、東京ディズニーリゾートの発展を関西大学から応援しています。
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©Disney 
出典:関西大学ニューズレター『Reed』83号(1月26日発行)
高橋 渉 ─ たかはし わたる
株式会社オリエンタルランド代表取締役(兼)COO。1957年千葉県浦安市生まれ。1981年3月関西大学文学部卒業。同年4月オリエンタルランド入社。2007年株式会社イクスピアリ代表取締役社長。2009年オリエンタルランド執行役員、2017年取締役執行役員、2019年取締役常務執行役員。 2025年4月より現職。
芝井 敬司 ─ しばい けいじ
学校法人関西大学理事長。1956年大阪府生まれ。1978年京都大学文学部史学科(西洋史)卒業。 1981年京都大学大学院文学研究科博士課程後期中途退学。1984年関西大学に着任。1994年文学部教授。2002年文学部長。2006年副学長、2016年学長。2020年より現職。学外の主な役職に、独立行政法人大学改革支援・学位授与機構評議員、一般社団法人大学スポーツ協会理事など。