スイスから渡日20年。オリンピックブランド戦略を実践
関大人
日本のポップカルチャーに魅せられて
/パナソニックオペレーショナルエクセレンス株式会社 アミゲジョナスさん(社会学部 2009年卒業)
/パナソニックオペレーショナルエクセレンス株式会社 アミゲジョナスさん(社会学部 2009年卒業)
関西大学のキャンパスは国際色が豊かで、1,000人以上の留学生が学ぶ。留学生の中には卒業後も日本にとどまり、活躍している人も少なくない。スイス出身のアミゲ・ジョナスさんも、その一人。社会学部を卒業後、パナソニックに入社し、現在はオリンピック・パラリンピックを通じた同社のブランドマーケティングに取り組んでいる。
アミゲさんの勤務場所、パナソニックセンター東京は江東区有明にある。東京2020オリンピックのテニスや体操の競技会場に近く、メインプレスセンターが置かれた東京ビッグサイトも徒歩圏内だ。パナソニックはオリンピック・パラリンピックのワールドワイド公式パートナー。近未来的な外観を持つパナソニックセンターは、東京大会の期間中、世界に向けてパナソニック・ブランドを発信する場になるはずだった。しかしコロナ禍で無観客開催となり、有明が世界中から集まった人でにぎわうことはなかった。「大会運営でのテクノロジーの活用は予定通りでしたが、アクティベーション(スポンサーの権利を活用して行うマーケティング活動)はほとんどできませんでしたね」。アミゲさんは流ちょうな日本語で苦笑交じりに語る。
しかし振り返っている暇はない。2024年のパリ大会に向けた戦略を練るのが次のミッションだ。IOC本部との窓口を務め、国内外の意見を集約しながら「東京大会や北京冬季大会で十分に活動できなかった分、パリでは『テクノロジーとスポーツを通じて理想の社会を作る』というパナソニックのメッセージを浸透させたい」と意気込む。
スイスは4つの公用語がある多言語国家。アミゲさんも英語、フランス語、ドイツ語などを操るが、母国スイスでは特別なことではない。「他の人が使っていない、珍しい言語を学びたい」。高校を卒業する頃、そう考えたアミゲさんの頭に浮かんだのが日本語だった。実は幼い時から、日本には親しみがあった。理由はアニメだ。『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』『シティーハンター』など、スイスでは多くの日本のアニメがテレビで放映されていた。浴びるほど見ているうちに、アミゲ少年の心の中で日本は遠い国ではなくなっていたのだ。長じて北野武監督、庵野秀明監督などの映画作品にも出会い、ますます日本への関心が高まった。「この国は面白そうだ」。高校卒業、兵役終了後に貿易関係の仕事で貯めた資金を元手に、2003年に来日した。
まずは大阪・天王寺の日本語学校に入学。大阪の下町を散策したり、お笑いの劇場を訪れたりと日本生活を満喫するうちに、「この国をより深く理解したい」という思いが強まり、日本で大学進学することを決意。当時マスコミ志望だったことから、マスコミ学を専攻できる関西の大学を探すうちに関大を知る。「見学に行ったらキャンパスが広々としていて、すごく雰囲気が良くて。『この大学に入るために努力しよう』と思いました」。半年間の猛勉強の末、2005年の春、社会学部に入学した。
「関大は期待通りの大学でした。設備も最新で、静かな環境の中で効率良く、徹底的に学ぶことができました」。大学生活の中で忘れられないのは大学職員との交流。国際交流センター(当時)やキャリアセンターに頻繁に通い、学生生活や就職のサポートに限らず、さまざまな会話を楽しんだ。中でもキャリアセンター職員の土井康順さんとはアニメやマンガなどの趣味が合い、「心がつながった」と懐かしそうに語る。
学びの面では、特に小川博司先生の授業が印象に残る。松田聖子などアイドルのヒット曲を社会やマスメディアの状況と結び付けて論じる、社会学的視点からポップカルチャーを分析するユニークな内容だった。「学校近くのレンタルショップで、過去のヒット曲のCDなどを借りて、一生懸命歌を覚えましたよ」。ポップカルチャーやマスメディアの動向を、日本社会の変遷と結び付けて深く学ぶことができたという。
松下幸之助の理念に共感し、卒業後はパナソニックに入社。2年間の工場勤務でものづくりの基本を学び、営業企画部門に移ってグローバル宣伝に従事。2017年春の人事にあたり、「東京オリンピックは一生に一度の機会」と、オリンピック・パラリンピック課を希望した。残念ながら大会はコロナ禍で不完全な形だったが、得難い経験もできた。2019年7月に特別企画展「SPORTS×MANGA」をプロデュースしたことだ。
液晶ディスプレイやプロジェクターなどパナソニックの最新テクノロジーを駆使して、100タイトル以上の日本のスポーツマンガを紹介。その歴史と社会に与えた影響を示しつつ、マンガで描かれた精神やトレーニング方法、作品に憧れて競技を始めたアスリートとの関係などをオリンピック・パラリンピックのバリュー(価値観)と重ねて展示した。「作品の描かれた当時の新聞や雑誌も紹介して、ポップカルチャーと社会、メディアとのつながりにもアプローチしました。関大で学んだことにつながりますね」。会場には1970年代以降のヨーロッパにおける、日本アニメ文化の受容の歴史を紹介するコーナーも設けた。少年時代の日本アニメとの出会いと関大での学びが、一つにつながった。
「1年半ぐらい」のつもりで来日して、すでに20年。この間、日本を離れたいと思ったことは一度もない。関大での4年間も「つらいことや後悔は全くなかった」という。「『こんなはずじゃなかった』と感じるのは事前のリサーチが足りない証拠ですよ」。そんなアミゲさんに、関大で学ぶ後輩たちへのメッセージを聞いた。
「自分の思いをしっかりと持ち、その思いを伝えるためのツールを手に入れてください。自分ならではユニークさを武器にしましょう」
多言語国家から「他の人が知らない言葉をマスターしたい」と異国に飛び出し、日本でキャリアを積み上げたアミゲさんならではの言葉だろう。