KANDAI HEADLINES ~ 関西大学の「今」

"鉄道は面白い!"と発信し続ける理由

関大人

/その行間に込められた鉄道ライターの思い

/鉄道ライター 伊原 薫さん (工学部建築学科 2000年卒業)


 世の中に鉄道好き、鉄道ファンを公言する人は多い。しかし、「それが高じて鉄道ライターになった人間は少ないですね」と、伊原薫さんは語る。曰く「鉄道をメインにしている専業ライターは、全国に20~30人くらい」という伊原さんの仕事は、"書くこと"にとどまらない。エネルギッシュさと自称「目立ちたがり屋」の性分で、ライターの枠に収まらない活動を展開している。そこに一つの使命を帯びて。

鉄道で人生は楽しくなる

 鉄道の歴史や技術を総合的に紹介し、幅広い年代に人気の京都鉄道博物館。「実は開館する前からのお付き合いなんです」と話す伊原さんは、2016年のオープン以前から取材を重ね、メディアで紹介してきた。開館後も、同館でトークショーやプライベートで結成する吹奏楽団のコンサートを開催。博物館の認知度向上と集客に一役買ってきた。

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伊原さんが開催した「クモルdeコンサート」の様子

 伊原さんの鉄道ライターとしての仕事は実に多彩だ。まずは、雑誌や広報誌、Webメディアでのライティング。「ライターとしての本格的な初仕事は2013年。ニュースサイトへの寄稿でした。その年にできた近鉄の観光特急『しまかぜ』について書いてくれないかと依頼されたんです」。それを皮切りに、仕事の依頼はどんどん増えていき、自著も刊行。鉄道会社や車両を問わず、さまざまな角度から鉄道の魅力を発信している。

 執筆だけではなく、テレビでも活躍。「主に関西地区の番組で、新型車両や路線の解説、鉄道にまつわる謎や雑学の紹介をしています」。博識なのはもちろん、ソフトでユーモアのある伊原さんの語り口は、多くのテレビ関係者と視聴者から支持されている。「元来、目立ちたがり屋なので、書くこと以上に楽しんでいますね」。

 また、テレビのサスペンスドラマの監修という仕事もある。鉄道を使ったアリバイトリックが本当に可能かどうか検証するのだ。「トリックそのものを考えてほしいというオーダーもありました」。その他、トークショーをこなしたり、大学で教鞭を執ったりと充実した毎日を送っている。

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伊原さん自身の著書・共著のほか、鉄道雑誌での執筆も多数

 仕事をする上でのモットーは"鉄道で人生を楽しく"ということ。「例えば関東の人向けに、関西や九州の新しい観光列車を紹介したり、その列車で行ける旅先のスポット、味わえるグルメをおすすめしたりするのが僕の役目」。鉄道に興味がない人にも「楽しい」「面白い」と、感じてもらえる情報を発信している。

無駄なことなんて一つもない

 幼い頃から、鉄道に魅せられてきた伊原さん。とはいえ、鉄道を一生の仕事にしようとまでは考えなかったという。関西大学工学部建築学科に入学したのも、将来、鉄道車両の設計やデザインができればという思いがあったが「絶対的な夢ではなかった」。実際、卒業後は中堅ゼネコンに就職し、施工管理などに従事した。しかし、鉄道への情熱は消えることはなかった。「会社が副業を黙認してくれていたので、鉄道会社が販売するグッズを知人と作っていたんですが、そのうち副業のほうが面白くなって会社を辞めました(笑)」。

 グッズ製作は、大学時代に端を発しているという。「4年次生の時に、あるバス会社さんに『御社のバスを模した玩具を作りませんか』と提案したんです」。当時流行していた玩具製作の企画を、好きだったバス会社に一人で持ち込んだ。会社は何の実績もない学生の提案に驚きはしたものの、「絶対売れます!」という意気込みに負けて承諾。実際に作って、実際に売れてしまった。今では鉄道・バス関連のグッズやイベントのプロデュース業も、鉄道ライター・伊原薫の売りの一つだ。

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伊原さんが手掛けたバス会社の模型玩具の一例

 「無駄なことなんて、一つもないんですね」。伊原さんは大学時代をそう回想する。「グッズ製作はもちろん、あらゆる出来事が今に生かされています」。例えば、住宅情報誌で沿線の建築物について紹介できるのも、建築の勉強をしていたからこそ。「『阪神間モダニズム』について取材した専門家が、関大の先生だったこともありました」。縁とチャンスは、どこでどうつながるか分からない。「だからこそ、学生時代は好きなことを思いっきりやったほうが良いと思いますね」。

「廃線」から見えてくるもの

 快活で前向きな伊原さんにも、心穏やかではいられない問題がある。「廃線」だ。近年、日本では、人口減少が進む地方を中心に、路線の廃止や鉄道会社の撤退が後を絶たない。「地域によっては廃線やむなしというところもありますが、慎重に考えてほしいですね」。

 伊原さんが"慎重に考える"契機となったのが、福井県北部を走る、えちぜん鉄道のケースだ。「現在のえちぜん鉄道の路線は、かつて京福電鉄の一部として、同社が運営していましたが、2回の大事故で2001年に運行停止となりました。財政状況が悪かったこともあり、同社は鉄道存続を断念せざるを得ませんでした」。すると、どうなったか。住民が代替バスや自家用車で移動するようになり、周辺道路に大渋滞を引き起こしたのだ。結局、鉄道は必要との結論に至り、えちぜん鉄道として再出発した。「僕らは京福のケースを『負の社会実験』と呼んでいますが、残念ながら全国でこの教訓は生かされていません」。

 さらに忘れられないのが、兵庫県三木市の三木鉄道の廃止だ。グッズ作りのお手伝いをしていたので、社員さんとも親しい、思い入れのある鉄道だった。しかし、経営状況が悪化し2008年に廃線が決定。「最後の日が近づくにつれ、地元の人や鉄道ファンで大賑わい。人手が足りないからと、僕も乗客の誘導や切符の回収を手伝うほどでした」。そして最終日、客も去り静かになった駅に伊原さんと20人ほどの社員が残った。明日から職を失う人たちだ。伊原さんは「最後に写真を撮りましょう」、そう言って手持ちのカメラを社員たちに向けた。すると「伊原くんも入ってよ。この数週間、伊原くんもうちの社員やったから」と返ってきた。嬉しさよりも、悲しみがこみ上げた。「鉄道を愛する人間として、鉄道に携わる人が不幸になるようなことは二度と起きてほしくない」。そう思った。

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三木鉄道の利用客からの感謝のメッセージ


 「だからこそ」と、伊原さんは語気を強める。「僕らは、もっと鉄道の便利さ、楽しさ、面白さを伝えていかなければならない。同時に、鉄道はじめ公共交通機関がなくなればどんな事態に陥るのかを、発信しなければ...と思うんです」。


 今後の夢は?と問うと「鉄道会社に就職することかな」と笑った伊原さん。そんな穏やかな表情の裏側と文章の行間には、大きな使命が息づいている。




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出典:関西大学ニューズレター『Reed』72号(4月1日発行)





伊原 薫 ─ いはらかおる

1977年大阪府高槻市生まれ。関西大学工学部建築学科卒業。京都大学大学院認定の都市交通政策技術者。鉄道雑誌やwebメディアでの執筆を中心に、テレビやトークショーの出演、グッズ制作やイベント企画、公共交通政策のアドバイスなど幅広く活躍。著書に『関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか』『街まで変える 鉄道のデザイン』『そうだったのか!Osaka Metro』(すべて交通新聞社)『国鉄・私鉄・JR 廃止駅の不思議と謎』(じっぴコンパクト・共著)など。