社会的弱者を支援する活動に注力
関大人
企業・社会貢献団体・障がい者の「三方良しの雇用」をめざす
/人間健康研究科 人間健康専攻 博士課程後期課程1年次生 中川悠さん
赤いメガネに、赤いネクタイ、赤い靴下に、赤いバッグ。「"大阪赤メガネ"でググったら、私が出てくるんですよ」。本当に関連するウェブサイトが上位検索されるほど、赤がトレードマークになっている中川悠さん。2022年4月から関西大学大学院生となり、障がい者の雇用について研究しているが、その経歴が実にユニーク。大学院生でありながら、法人の代表であり、大学講師でもありながら、市役所のアドバイザーでもある。
大学院の人間健康研究科に入学したのは、2022年4月のこと。「20代の若者の中に、40代のおじさんが交じって勉強しています」。修了の要件である論文3本を書き上げるため、勉学に励む。一方で、2016年から現在まで関西大学の人間健康学部で、学生たちに社会起業論や雇用政策について教える教員でもある。「大学院の指導教員でもある岡田忠克先生に、声を掛けていただいたんです」。岡田教授とは、十数年来の知己。「出会いのきっかけは、私が大阪市内のオフィス街でプロデュースをした障がい者福祉作業所でのことです」。社会福祉政策が専門の岡田教授の目に映ったのは、ユニークな方法で障がい者の支援活動をする中川さんの姿だった。
20代で大手出版社に就職。情報雑誌の担当となり、編集の何たるかを体得する。独立して編集制作会社を立ち上げたのが29歳のとき。その会社は現在、大阪市北区に事務所を構える。同所は中川さんが代表を務めるNPO法人の拠点でもある。法人格の違いはあれど、どちらも取り組んでいるのは「社会の困りごとの解決」だ。「起業した頃から既に、いわゆるソーシャルビジネスに興味があったんです。少子高齢化や労働人口が減少する中で、現代社会が抱えるさまざまな課題に向き合っています」。
長らく注力しているのが障がい者支援だ。障がいのある方々が、福祉施設で軽作業をして得る対価の低さに愕然としたのがきっかけで、「編集の力で課題を解決できないかと動き出した」。社会福祉施設のプロデュースに始まり、施設内での冷凍ロールケーキ製造、印刷物の封入やデータ読み取り作業、さらにはお墓参りの代行、カフェ運営など、編集者ならではの発想と行動力で、精神障がいや知的障がい、身体障がいを抱える人たちのために次々と仕事を生み出してきた。「取り組みの多くが平均工賃を上回り、何より皆さん楽しく仕事することができた」。
福祉施設での仕事創出は順調だったが、やがて少し行き詰まる。当然だが、施設は営利組織ではなく、営業力にも乏しい。中川さんが離れてしまうと仕事が減ったり、なくなったりという事態に陥った。「継続的で安定した仕事と賃金を確保し、障がい者の将来をハッピーにするためにはどうすればいいのか」。悩む中川さんは、その頃続々と舞い込んできていた企業からの相談に活路を見出した。
現在、企業には一定の割合で障がい者を雇用することが義務付けられている。しかし、その数は伸び悩んでいるのが実情で、理由としては障がい者の特性に合わせた仕事や、やりがいが持てる仕事を企業側が生み出しにくいことが挙げられる。そして、それこそが企業が中川さんに相談していた課題だった。そこで中川さんが考えたのが、企業に雇用された障がい者が、地域の子ども食堂や高齢者向けの食堂などを運営する社会貢献団体に在籍出向するというスキーム。賃金は企業が受け持ち、実務は食堂での調理や配膳、接客などにあたる。企業は社会的責任を果たし、常に資金と人材不足に陥っている社会貢献団体はそれを解決できる。そして、障がい者はやりがいのある仕事に継続して就ける。すべての人という意味のユニバーサルと、リクルートを組み合わせたこの「ユニリク」という雇用形態は、まさに三方良しの仕組み。障がい者にとっては従来の福祉施設での作業に比べ、所得も格段に上がる。収入が増えることで、貯金ができる、旅行のことを考えたり、恋人ができたりもする。「正社員という安定的地位や充足感が生まれ、生活が一変するんですね」。現在まで複数の企業がユニリクを活用。中川さんは新たな雇用主の開拓に努めている。
活動は障がい者支援にとどまらない。例えば、大阪市と協業し、農家の付加価値を創出するために、イタリア野菜の栽培をバックアップ。さらには淡路島の商店街振興、企業のSDGs活動やCSR活動のサポート、ソーシャルビジネスに関するイベント開催やワークショップなど、「issue( 問題点)」と「curator( 企画者)」を組み合わせたイシューキュレーターとして、毎日分刻みのスケジュールをこなしている。かと思えば、奈良県生駒市役所の「コミュニティデザインのプロ人材に採用され」、市民団体へ助成金についてのレクチャーをしたり、同市が推進するスマートシティ構想に参画したり、ふるさと納税事業のサポートをしたりで、週2回以上は出勤する。ワーカホリックかと思いきや、週末は娘のためにキャラ弁を作るパパにもなってしまうというから驚きだ。
「やりたいこと、続けていきたいことがあるのに、できない。そんな人たちのハッピーのために見返りを求めずに助ける」。この思いの端緒は、幼い頃にさかのぼる。「祖父が精神科医院の院長、父親は身体障がい者のための義手・義足の研究開発者でした」。思い通りにならないもどかしさを抱えながらも、ポジティブに生きようとする人たちを、ずっと目にしてきた。そして、そんな人々が前を向けるように手助けをする家族の姿を見てきた。「人に覚えてもらうため」と照れ笑う赤のコーディネイトも、実は赤いメガネをかけていた祖父の影響だ。受け継がれてきた赤い血が、熱く脈を打つ。
20年余りにおよぶ社会的弱者を支援する活動。十分な実績が数多くのメディアに取り上げられ、大学やフォーラムで伝え教える立場になってもなお、中川さんが大学院での"学び直し"にチャレンジするのはなぜなのか。「一言でいうと、論文を書くことで、さらに深い視点で考える力を身につけるためですね。それを通して、より多くの人たちに障がい者雇用の実態を知ってもらう。無関心を関心に変えてもらいたいんです」。テレビや新聞、ウェブなどでは接触に限りがある。研究者や経営者に気づきを与えられればと語る中川さん。「これまで私は、ニュース性の高いソーシャルビジネスを展開して関心を集めようとしてきました。研究・学術論文というアカデミズムは、従来とは違った新しい力になると思っています」。障がい者に仕事を任せるのは難しいと考える雇用主の固定概念を払拭し、雇用を促進させる。そして、携わる人たちを増やし、ムーブメントを起こす。中川さんの学び直しと論文にかかる期待は大きい。