女性の人生に寄り添う産婦人科医
~国際協力活動を経て、37歳で医師に転身~
グローバル

/レディースクリニック サンタクルス ザ シンサイバシ 院長 藤田 由布 さん(総合情報学部 1998年 卒業)
大学卒業後、アフリカでの青年海外協力隊員をはじめとするさまざまな国際協力活動を経て、ハンガリーの国立大学医学部でEU医師免許を取得。現在は大阪の産婦人科クリニックで院長として診療を行う傍ら、「婦人科漫談セミナー」で全国を駆け回っている藤田由布さん。多彩な経歴の背景にある、バイタリティあふれる人生の原動力に迫る──。
得意の英語を生かして高校時代にアメリカ・インディアナ州へ留学した経験もある藤田さん。帰国後は、「情報やコミュニケーションを学ぶ、面白そうな学部だ」と当時関西大学に新設された 総合情報学部 へ58倍の競争率をくぐり抜けて入学。情報学やメディア制作を学び、同学部主催の学園祭の実行委員長も務めるなど学生生活を謳歌する一方で、青年海外協力隊への参加を常に考えていた。子供の頃から海外のニュースに触れる度、将来は開発途上国で支援活動がしたいという思いを抱えていたからだ。
そんな藤田さんにゼミの指導教員が教えてくれたのは、特定の地域やコミュニティに根差した情報伝達手段をメディアととらえる「フォーク・メディア」という概念。卒業後すぐに青年海外協力隊として派遣されたアフリカ・ニジェールでの活動には、この考え方が生かされたという。
藤田さんは寄生虫ギニアワームの感染症撲滅を目的に、視覚や聴覚を刺激して学習効果を高める視聴覚教育を担当。「電気のない奥地で当時はデジタルカメラもない時代。衛生教育や感染症対策の教材には紙芝居や演劇など、どの手段が現地の情報伝達に有効なのかを模索する中で大学時代の学びが役に立ちました」。
ニジェールでの活動中には今まで知らなかった多くの病にも遭遇。「人ってこんなにも簡単に死んでしまうんだ」とショックを受けた。若年層の妊婦死亡率は高く、出産中に亡くなることもあったという。生と死が隣り合わせの女性たちを見て、医療技術のない自分の無力さを痛感。今まで考えていなかった医療に携わりたいという気持ちが芽生えたのはこの頃だった。
青年海外協力隊の任期終了後10年近くは、経験を生かしてJICA(国際協力機構)など国際協力に関する仕事で奔走。医学部進学の学費を貯める目的でもあったが、「早く医師になりたい」という思いが頭の片隅から離れずもやもやしていた。
ようやく医学部へ進学した時には32歳に。卒業後は海外で働くつもりだからと日本よりも学費を抑えられるハンガリーの国立デブレツェン大学に入学した。
医学部時代に一番大変だったことは、日本にはない口頭試験。「100枚ほどのカードの中からくじ引きで試験テーマが決まり、教授陣に囲まれて矢継ぎ早に質問攻めで、即座に答えなければ不合格。それが6年間続くので、精神的にも大変でした」。同級生は15歳ほど年下ばかりで友人も少なく、生活費を切り詰めて白米に塩だけという食事の日も。今も、「あの6年間にだけは戻りたくない!」と思うほどの過酷な状況だった。
そんな孤独でつらい時期に、原動力となったのは"思い込み"。「私は良くも悪くも人より少し思い込みが強かった(笑)。「医師になりたい」じゃなく「医師になる」という思い込みの強さは人一倍あったんです」。
その"思い込み"の強さでひたすら勉強に没頭し、医学部をストレートで卒業後、ヨーロッパの医師免許を取得。そのまま海外で働くつもりだったが、外国で学んでいる間に何度も尋ねられた「日本の医療はどう?」の問い掛けに答えられず、日本人として母国の医療をしっかりと知っておくべきという考えが芽生え日本に一旦戻ることにした。
帰国後にまず直面したのが、日本の女性が日々我慢しているという事実。「女性のライフステージはダイナミックに変わっていきます。思春期から生理痛、その後に妊娠・出産もあって、年を重ねれば更年期......なのに日本の女性たちはどのタイミングでも我慢しなきゃならない環境の人が多いと知って、怒りのような違和感が湧きました。私にも何かできるんじゃないかと初期研修を経て産婦人科を選んだんです」。
働き始めてさらに感じたのは、来院する女性たちが自身の体に起きることや予防に関しての知識が少ないということ。けれどこれは"知らない"のではなく、"知らされていない"ことが問題だと藤田さんは考えている。
「生理痛の対策や子宮頸がんワクチン、性感染症、緊急避妊ピル......大切なことなのに学校ではほとんど教えない。加えて診察には体調が悪くなった人しかやって来てくれない。それなら私から話しに行こう! って思いました」。
2021年から「婦人科漫談セミナー」と銘打って北海道から九州まで積極的に足を運んでいる。理解を深めてもらうには視覚化が大事なカギになると考え、興味が湧くよう工夫を凝らしたスライドを自作している。
セミナーは好評で既に150回を超えたが、次のステップとして今の時代に合ったショート動画でより多くの人にアプローチする方法を現在企画中なのだとか。「セミナーのスライドを自分で作れるのも、動画を作ろうと思い付くのも、きっと関西大学で情報学についていろいろなノウハウを学んだおかげですね。国内に約1万人いる産婦人科医の中で、こんなことを考え付くのは私だけかもしれません(笑)」。
当初の目標だった海外での医療にも携わりたいと考える時、ニジェールの地を思い出すことも。母国語以外に3言語を操る藤田さんだが、ニジェールの言語「ハウサ語」で好きなことわざは「Rigakafi ya fi magani」(予防は薬よりも強い)。ロンドン大学大学院ではヘルスケアプロモーション修士号を取得し、予防についても知識があるため、予防と治療の両面から医療に携わることができるのが自分の強みの一つだと話す。
「アフリカでの経験、国際協力活動でのさまざまな海外経験、そして関西大学で学んだ経験。ずいぶん遠回りしているようだけど、いろんな景色を見てきたことが人生を豊かにしたし、今の自分の診療にもつながっているように思いますね」
つらかった医学部時代に心の支えだった医師の國井修先生の言葉を学生に贈りたいという。「ひとの夢は単純で純粋なほうがいい。思い込みが強ければ強いほど、ひとを動かす力も強い。どんな人生にも何らかの「縛り」や「制限」があるけれど、むしろこの制限の中で学ぶ事が多い。回り道をすることで違った世界を見て、人生に楽しみやゆとりが増えることもある」。多くの経験を重ねた藤田さんの人生には、無駄な道のりは一つもなかったのだろう。