KANDAI HEADLINES ~ 関西大学の「今」

建築の秘められたストーリーに、光を当てる

研究

大阪のモダニズム建築を評価し、保存・再生のあり方を探る
/環境都市工学部 建築学科 建築意匠研究室 橋寺知子准教授

 今、巷では「建築ファン」が増えているのをご存じですか? 見学イベントは大盛況、レトロビルを活かしたおしゃれなカフェやショップも話題になるなど、建築デザインの認知度は高まっています。一方で築50年前後のビルは、価値を吟味されることなく建て替えられることが多いのも事実。「建築にはいろいろな評価ポイントがあっていい」と話す橋寺准教授は、柔軟な視点で大阪の近現代建築の価値や魅力を探り、デザインの好き嫌いにとどまらない見方を広く紹介しながら、再生や保存のあり方を研究しています。

建築物に込められた意図や時代の空気をつかむおもしろさ

 大阪に現存する建築には、戦前の「大大阪」時代の豊かな経済力を彷彿とさせる、様式美あふれるレトロビルがたくさんあります。またそれ以上に、コンクリートやガラスなどの工業部材を用いて合理的、機能的につくられたモダニズム建築も数多く見られます。このモダニズム建築とは19世紀初頭に広がった建築のスタイルで、画一的なデザインは一見おもしろみに乏しいようですが、例えば新阪急ビル(現存せず)のように、すぐ下を地下鉄が走るという当時の常識では考えられない場所に建てるため最先端の特許技術が用いられていたり、一歩中へ入ると凝ったデザインが施されていたり。物言わぬ建築に、設計者の考えや時代性が豊かに織り込まれているのです。

 そんな建築を見るのがもともと大好きだったと話す橋寺准教授は、関西大学大学院で「建築論」を専攻。「建築とはなにか」「設計者は何を考えてデザインするのか」を追求するおもしろさに魅入られます。学内に残るモダニズム建築の雄、村野藤吾氏の建築についても継続的に研究にあたりました。

 ちょうど大学で教え始めたころ、建築の保存・再生への社会的ニーズが高まり、橋寺准教授のもとにも大阪の建築物調査の依頼が舞い込むようになりました。実物を見て、測って、沿革を調べるうちに、歴史好きだったこともあり、それまでの理論主体の研究から、リアルな建物そのものを扱う研究へと自然に軸足が移っていきました。

 現在、大阪の都市形成史や建築の変遷にも取り組む橋寺准教授。大阪でも有数の歴史を誇り、古い研究資料や過去の地図を多数所蔵する母校でもある関西大学は、今や自身の研究において大いにメリットを享受できる環境となっています。

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AR技術でタイムスリップ。過去と現在をつなぐ130周年プロジェクト

 「大学という場は、古いものを適度に残しながら、新しいものが入って来る、そこがいいんです」と橋寺准教授。関西大学は2016年に建学130年を迎え、千里山に学舎が開かれて以来約100年間培ってきた歴史があります。しかし現在のキャンパスに通う学生にとって、そこに流れる歴史をイメージすることは容易ではありません。かたや卒業生にとっては、母校の変化を肯定的に受け止めていたとしても、「こんな感じだった」という景観イメージは失われます。これらをつなぎたいと考えた橋寺准教授は、130周年記念プロジェクトとして「AR(拡張現実)アプリ」の企画制作に参画。AR技術を用いて、村野藤吾氏設計の第1学舎旧1号館を「あすかの庭」に再現しました。

 夏休みに子どもたちのために始めたラジオ体操は、それまで家にこもりがちだった高齢者を誘い出すきっかけになりました。毎日きちんと服を着替え、身なりを整え参加することは、生活にリズムを与え、孤立を防ぎます。お弁当を作って一緒にハイキングに出かけるグループもできるなど、新たな生きがいにもつながっています。また、月2回オープンする持ち寄りのバーでは、手作りのおつまみや好みの飲み物を手に、幅広い年齢層の住民がおしゃべりする光景がおなじみになりました。「一人で暮らしていたおばあちゃんたちが、さまざまな人とつながることで、誰かのために作る喜び、誰かのために生きる人生を思い出したのです」と江川教授。

 さらに、研究室の学生とともに学内マップ「CAMPUS GUIIDE MAP in 千里山キャンパス」の作成にも協力しました。「案内したい場所」「絵になる風景」「休憩ポイント」といったテーマで学生たちが選んだ場所を編集。村野氏の建築も19カ所を紹介しています。このマップは学内外で広く配布されるほか、建築学部の新入生にマップにある建物を見て歩かせるという学びの導入にも活用するなど、建築を学ぶ学生にとって大切な、実物に触れる機会づくりにも役立てています。現在、このマップの内容をさらに詳しく紹介したWEBサイトの制作にも関わり、今年度中の公開にむけて作業を進めています。

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評価が定まっていないものこそ、価値を明らかに

 「建築は時代の課題に応えることが使命」という考え方があります。例えば高度成長期に完成したフェスティバルホールが入っていた新朝日ビルディング(現:中之島フェスティバルタワー)は、工業製品で効率的につくられ当時のランドマークの機能も果たしてきました。しかし、時代の特徴をよく表しているという価値があるにもかかわらず、老朽化などを理由に惜しくも解体、建て替えとなりました。「解体するにせよ残すにせよ、評価が定まる前に行うことは問題」と橋寺准教授は指摘します。ある時代の建物だけが保存されることなく壊されると、まちの形成史にポッカリと穴が空き、その時代の建物がどのような考えでつくられたのかがわからなくなります。だからこそ「文化財的な評価がまだ定まらない1960年代前後の建築ほど、デザインや歴史、地域に果たす意味といったいろいろな角度から価値を明らかにすることが急がれているのです」。

 保存には市民の声が大きな後押しになります。建築の隠れた価値を広く一般の方に知ってもらうため、橋寺准教授はこれまでも市民講座やガイドウォークを行ってきました。2016年からは大阪の魅力的な建築を、古いものばかりでなくこれから価値が決まっていく新しいものまで、一斉に無料公開する「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪(通称イケフェス)」にも参加。案内人として関西大学の建物を一般の方に向けて紹介しています。2018年は、村野藤吾氏設計の建物が多く残る関西大学第一高等学校・中学校の校舎を中心にキャンパスツアーを実施しました。日本初の本格的な田園都市である千里山住宅の分譲や千里線の開設とともに、千里山へ移転してきた関西大学。関西大学第一高等学校・中学校が建っている場所には、かつて「千里山花壇」という遊園地がありました。その様子が描かれた1939年製の地図や1960年ごろの関西大学の航空写真と、今現在の様子を見比べながら、建物の特徴や時代背景などをわかりやすく紹介しました。

 建築の保存には歴史的価値や専門家の意見以上に、こうした一般の方が興味を持ち、世の中の人に価値が認識されることが大切です。今後もさまざまな場で建築の価値を伝え、保存のための知見を発信し続けることが使命であると、橋寺准教授は考えています。

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