「新書大賞2024」に入賞!日本人が書いた中国史『唐―東ユーラシアの大帝国』
研究
/文学部 世界史専修 森部 豊 教授
文学部 森部豊教授の著書『唐―東ユーラシアの大帝国』が、中央公論新社主催の「新書大賞2024」で13位に入賞した。今回で第17回を数える同賞は、1年間に刊行されたすべての新書から、「最高の一冊」を選ぶというもの。高い評価を得た同書や自身の研究テーマなどについて、森部教授に話を聞いた。
「新書大賞2024」は、2022年12月~2023年11月に刊行された1200点以上の作品から、有識者、書店員、各社新書編集部、新聞記者など、新書に造詣の深い107人の投票によって選ばれている。そもそも中国の歴史関係の書籍で入賞すること自体が珍しく、「まさに望外の喜びです」と森部教授。2万部売れればベストセラーだと言われる新書において、『唐―東ユーラシアの大帝国』は、すでに2万3000部もの売上げを達成している。
唐は618年に建国され、907年に滅亡した中国の王朝だ。290年間、日本でいえば飛鳥時代から平安時代の半ばまで続いている。同著ではその歴史を通時的に紹介。「政治史や経済史などに焦点を絞るのではなく、歴代皇帝ごとにその時代に何が起きたのかを著しています。ただし、唐という国の内部だけでなく、それを取り巻くエスニックグループ(少数民族集団)についても記述しているのが特徴です」と森部教授は解説する。
唐の周辺には、騎馬遊牧民や山岳の民族など、さまざまな民族集団が存在し、王朝と深く絡み合って歴史を動かしてきた。しかし彼らは文字を持っておらず、自分たちで記録を残すことができなかったという。「そのため中国の人たちが漢文で記したものが、後世に受け継がれていますが、そこには中国人のバイアスがかかっています。最近では、それぞれの集団に立脚して研究しようという動きが起きているものの、周辺民族を主体とすると、中国がサブ的な扱いになってしまう。それらのバランスがとれるよう留意しながら叙述するよう心掛けました」
同著は専門家から、ユーラシア全体の動きのなかで、唐がどう展開したかを著しているのが独創的だと評価されている。しかしヒットの理由は、「まったくの謎です。日本の人は、唐という時代に関心が強いんでしょうかね」と首を傾げる森部教授。「唐の時代は後半になると、日本人にとってメジャーな皇帝も登場しませんし、今までの書籍ではごく簡単にしか触れられていなかったんです。そこをしっかり書いていることがウケているのかもしれません」
そもそも森部教授がこの時代に興味は持ったのはどういうきっかけだったのだろうか。「唐の時代の半ば頃から徐々に皇帝が権力を握り始める一方で、各地に軍閥が誕生し、強い力をもって中央政府と対立していました。特に河北にあった三つの軍閥は、半独立割拠の体制をとりつづけていました。北京大学への留学時、その河北の軍閥の中に実はソグド人(イラン系民族)がいたことを教わり、エスニックグループの研究に着手。中国の王朝がつくられる際には、実は多民族が入り乱れていたと知ったことで、ますます唐という時代に惹かれていきました」
唐の中頃には、安禄山(あんろくざん)という人物が現れる。父がイラン系、母がトルコ系の外国人で、若い頃に唐へ亡命し、やがて地方の軍事長官にまで出世して強大な権力をつかさどり、反乱を起こす。その時期を境に、唐は前半と後半に分けてとらえられることが多いのだが、森部教授によれば「とくに後半期は、相対的に研究成果が多くなく、史料も錯綜して整理されていない」とのこと。「参考になるものを読み解きながら書いていったので、かなり時間がかかりました」と振り返る。
森部教授は、本書を執筆するうえで、すべてに中立であるように"バランス"をとることに注意を払ったという。「唐王朝の次は宋王朝なのですが、この時代になると中華世界に対し、異民族を野蛮な夷狄(いてき)の世界にいると見なす、"華夷"の区別が出てきます。そのため宋代に書かれた唐の記録を見ると、無意識に宋の人たちの見方を汲み取ってしまうおそれがあるのです」
歴史資料には記録した者の価値観が、当然のように投影されている。しかも歴史書を記すのは、その時代を生きた人々ではなく、その後の時代を生きた人々だ。「この前提を理解し、意識していないと、知らず知らずのうちに中立性を欠いた記述になりかねない」と、森部教授は指摘する。
現代の中国は、遊牧民族が支配していた時代とも、漢民族が支配していた時代とも、異なる動きを見せている。歴史を紹介するうえで、とくに伝えたいのは"視点"だと、森部教授は力を込める。「歴史の研究は、現代のその国をどう理解するかにつながっていくもの。中国大陸で展開した大局的な歴史を見ると、今の中国がいかに異端であるのかもわかってきます」
また中国は、紀元前の秦の始皇帝から20世紀初頭の清朝ラストエンペラー溥儀(ふぎ)まで、およそ2000年もの間、ずっと帝政を敷いてきた。どの時代も皇帝を頂点にした官僚機構によって、大多数の一般民衆を支配していたため、「金太郎飴」のような代わり映えのない国だととらえる人もいるという。しかし、「特に唐の前半は皇帝はいるものの、さほど大きな権力を握っておらず、むしろ周りの貴族たちに遠慮し、対話をしながら政治を進めなければならなかった」と森部教授は話す。微視的な視点で見ることでもまた中国の見え方は変わってくる。
さらに「歴史を知ることは自分たちを知ることにもつながる」と森部教授は話す。ある場面に遭遇してとる行動は、時代ごとに違う。それがなぜかと追求していくと、当時の人々の論理や考え方、社会が見えてくる。「歴史は過去の人間の行動を掘り起こし、なぜそういうことをしたのかを見るものです。自分たちがそうしないのはなぜか。異質な行動をとる人たちを見ることによって、自分たちの行動が浮かび上がってきます。他国の歴史を見ることは、現代の自国を理解することにもつながるのではないでしょうか」
同著は中国語での翻訳出版も決まっている。「日本人の書いた中国の本が中国の人に読んでもらえるなんて、これほど嬉しいことはない」