KANDAI HEADLINES ~ 関西大学の「今」

群集の読めない動きを読み解き、歩行者の安全を守る

研究

「群集事故」のメカニズムを解析し、安全でスムーズな人の流れを考える
/社会安全学部 川口寿裕教授


 多くの人が一気に押し寄せる場所やイベントには、常に将棋倒しや群集なだれといった「群集事故」の危険がつきまといます。群集事故は、古くから世界中で繰り返されながらも、今なおどのような場所で何をきっかけに発生するのかを正確に予測することは困難だといわれています。川口教授は、実際の発生状況を再現することが難しい群集事故を、コンピュータシミュレーションと実験・観察によって検証。未知なるメカニズムに推察力で分け入り、事故防止につながる手段を幅広く探り続けています。

岩石や粒体の移動モデルを活用し、「人の流れの基礎式」を組み立てる

 2001年7月、兵庫県明石市の大蔵海岸で開催された花火大会では、行く人と帰る人が一つの歩道橋に密集し、多数の死傷者を出す惨事となりました。海外では、イスラム教のイベントで毎年数百人が群集事故に巻き込まれています。しかもこの会場は、ボトルネックとなる箇所を改善したにもかかわらず、再び2000人が犠牲となる事故が発生。複雑で偶発的な要因が絡み合う群集事故は、確かな防止策が確立されていないのが実情です。

 機械工学を学び、粒体の動きの研究に携わっていた川口教授が群集安全学の研究を始めたきっかけは、当時扱っていた、粒体同士が接触しながら流動する状況のシミュレーションを応用し、ぎっしり詰まった人の動きを分析できないかという依頼を受けたことです。

 固体粒子や空気、水の動きを表す基礎式はありますが、複雑な人の動きを表す基礎式は世の中にはまだありません。「石や粒は外部からの力で動きますが、人間は状況に応じて自ら判断し、動きを変える。これらの『判断』や『思考』を数式に反映しなければ、人間の動きは表現できないのです」。以来、川口教授は、群集の動きを表現するシミュレーションモデルをゼロから作るために、「加えた力と、結果としての動き」に因果関係をもたらす本質的なパラメータを探り、さまざまなケースで検証を重ねてきました。明石市の歩道橋事故のシミュレーションでは、「曲がり角では最短ルートを取ろうと内側を回る人が多い」という条件を入れた数式モデルを作成し、事故を再現したところ、コーナー部で多くの被害が出た実際の状況を示す結果を得ることができました。

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鉄道会社との共同研究。シミュレーションと実験でよりリアルな再現を目指す

 実際の事故を再現し、解析することはきわめて難しく、危険を伴う場合もあります。そのため川口教授の研究室では、シミュレーションと、実験装置での実験の両輪で研究を進めています。実験室の装置を用いて一人ひとりにかかる力、反発力、体の変形度合いなどの実験を行い、その解析データをシミュレーションモデルにフィードバック。これにより、人が密集した際に加わる力を定量的に割り出し、より実情に近い群集の動きの再現が可能になります。

 現在、進めている近畿日本鉄道総合研究所との共同研究では、最も利用者が多い阿部野橋駅の改札データを解析。16カ所の改札に混雑を分散させ、人の流れをスムーズに流すための最適な改札の配置や時間的な運用を、シミュレーションモデルを使って検証しています。また、衝突や階段・ホームからの転落の危険性が心配される歩きスマホについても考察。歩きスマホの専用レーンを作り、駅員が誘導することで事故を減らすというユニークな提言も行いました。さらにつり革に関する研究にも取り組んでいます。急ブレーキ時、隣の人に押されてもつり革を放さず持ちこたえられる重量を実験で検証。この数値をもとに作成したモデルを使って、つり革の配置を変えた場合のシミュレーションを行うなど、乗客の安全のための協働を継続しています。

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歩行者が安全に動くためのすべてが研究対象に

 群集安全学では、必ずしも混雑した場だけでなく、歩行者が安全に移動することに関するすべてがテーマになると川口教授は考えています。現在、研究室で学生と共に進めているのが「サインの視認性」の研究です。通常、非常口のサインに使用される緑色に代わり、さまざまな色をモニターに映し、最初に目がいく色や長時間見ている箇所をアイトラッカーで追跡。その結果、色よりも「位置」に深く関わることがわかりました。

 また、新型コロナ感染対策として、スーパーマーケットで買い物客の対面回数を減らす通行方法を検証。店内を周回する通路をつくり、左回りと右回りの混在で起こる対面の時間をトータルで計測しました。「一方通行だと対面機会が減り、安全ですが、流れに逆行する人が1割いるだけで対面回数は大幅に増加するという結果が出ました。一方通行のルールを作るなら、徹底的な順守が必要だということです」。

大阪の繁華街で歩行者の流れを上部から撮影した際には、左側通行をする人が多いことに気づきました。そこで考えたのは「人は対向する際、左によける」という仮説です。「データをさらに集めて得た原理、例えば『6:4で左によける』をシミュレーションモデルに実装すれば、再現性は格段にリアルに近づきます。駅でも階段を左に配置すればスムーズに避難できるなど、歩行者空間や都市の設計に活用できると考えています」。

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オリンピックや万博。グローバルな群集に備える、新たな群集安全学を

 群集安全学を掘り下げるには、群集心理をはじめ、経済、法律などさまざまな分野の知見が必要です。川口教授は、社会安全学部の多様性あふれる環境が研究に役立っていると感じています。「ここは文理融合の学部なので、各方面の専門家にいつでも話を聞くことができます。学生も他のゼミの先生に気軽に質問に行くなど教員と学生の距離も近く、開かれた空気があります」。さらに関西大学には、研究を奨励する制度が充実しているので、新しい研究に挑戦しようとするモチベーションとなっています。

群集事故はそもそも国民性にも大きく関わっていると川口教授は指摘します。日本人は比較的ルールを守り、落ち着いて行動する人が多いため、諸外国に比べると大きな事故はさほど多くありません。一方、海外では、サッカーの観客が騒いで群集事故を引き起こすといったケースがしばしば見られます。「オリンピックや万博といった世界中の人が集まる状況下では、これまでの常識やモデルが通用しません。グローバルな新しいタイプの群集を表現するシミュレーションモデルが必要です。人を表す粒子に、例えば『強引』といった個性を与え、一定の割合で混在させることを考えています」。順番を守って出口に向かう人の流れに割り込んでくる人が一定数入ると、どんな事故が起こりやすいのか。時代や社会を映した群集安全学の重要性は、ますます高まろうとしています。