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戦争のデータを解き明かす~「民間人の死亡者8,490人」は誰が調べたのか

研究

/政策創造学部 五十嵐元道 教授



 2022年2月から始まったウクライナ戦争では、多くの民間人の命が奪われている。2023年4月に国連人権高等弁務官事務所が発表したところによると、その数は確認されただけで8,490人。実際の死亡者はさらに多いとされている。

 しかし、この8,490人という数字は、誰がどのように調べた数字なのか。こうした戦争のデータは私たちに何を教えてくれるのだろうか。戦争のデータについて研究する関西大学政策創造学部の五十嵐元道教授に聞いた。

「いかに悲惨な戦争か」を示すデータ

 五十嵐教授は、戦争のデータの重要性について以下のように話す。「戦争においては民間人の死者数以外にも、戦争によって難民となった人の数や自然環境に与えたダメージなどさまざまなデータが取られています。このような調査が行われる理由は、その戦争が国際人道法に違反しているかどうかを明確にすることが重要だからです」

 国際人道法とは、19世紀から現在に至るまで国際会議を重ねて明文化されてきた国際法の一種で、武力行使の際に人道的な見地からやってはいけないルールを定めたもの。たとえば、軍隊に属さない民間人や、民間の病院、宗教・文化施設などを攻撃してはならないことになっている。つまり、ウクライナ戦争の「民間人の死亡者8,490人」というデータは、この戦争がいかに悲惨で、ルールにのっとっていないかを示している。

 しかし、戦争が続いている危険な状態の中、民間人の死者数を誰がどのように調べているのだろうか。「NGOや国連など、いくつかの組織で、専門家が聞き取り調査や遺体の確認調査などのさまざまな方法を駆使して、死亡者や行方不明者のリストを作成しています。その方法は大きく分けて2つ。一つは、戦場で実際に遺体を数えて数字を積み上げていく方法です。服装や持ち物、体の特徴から性別や年齢、損傷の様子から死因などを調べ、最終的には名前を明らかにしていきます。この方法は地道で信頼性の高いやり方ですが、見つかっていない遺体は調べることができないのが難点。そこでもう一つは、各組織が調べたデータに基づき、統計学的な手法を用いて、見つかっていない遺体の数を推定するという方法です」

 この他にもいくつか方法はあるが、この2つが、国連が最も信頼を寄せている調査法だという。とはいえ、遺体の分析・確認と統計学での推定は、命がけの調査を伴うこともしばしばである。それでも、その結果は必ずしも正確だとは言い難い。「数字などのデータがぴったり正しくなくても、できることをするしかない。たくさんの人が亡くなったことを無かったことにはしたくないから、市民が何とか記録を残そうとした結果、編み出された方法と言えるでしょう」。五十嵐教授は、戦争のデータを取り巻く状況の切実さをそう語る。

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古い資料から戦争のデータの歴史をたどる

意外に遅い民間人の戦争被害調査開始

 戦争のデータは、いつ頃から調べるようになったのだろうか。「18世紀のヨーロッパの戦争などでは、軍隊の指揮官など上級兵士の死亡者しか記録されていませんでした。一般の兵士まで調べるようになったのは、徴兵制が広がった19世紀の後半から。兵士の帰りを待つ家族にとっては、戦死したのかどうかもわからない状態はとても辛いことです。次第にそうした痛みが問題視され始め、軍隊では兵士に関するデータを取るようになりました」

 一方、民間人の被害については「長らく顧みられることはなかった」と五十嵐教授は言う。第一次世界大戦に比べ民間人に多くの死亡者を出した第二次世界大戦の経験から、1949年にジュネーブで行われた国際会議において、一般市民や戦争に参加していない人々を守るルール(ジュネーブ諸条約の第4条約)が生まれた。しかし、その後に起こった朝鮮戦争やベトナム戦争でもこのルールが守られることはなく、また多くの民間人が犠牲となった。

 「この流れが変わったのは1980年代です。中南米の内戦で政府軍などに虐殺された一般市民らの遺族が、その死の真相を調べるために市民団体を作りました。それが国際的ネットワークに発展し、民間人の死者数と死因のデータを作成し、世界に発信するようになりました。その中心となったのは、現在のヒューマン・ライツ・ウォッチなどの人権NGOです」

 並行して国連でも、1970年代から人権委員会などの組織が少しずつ戦争被害について調査を開始したという。 「国連による最初の戦争被害調査の事例のひとつが、1967年に起こった第三次中東戦争後のイスラエルによる占領問題です。その後、中南米の内戦、ソ連のアフガニスタン侵攻後の戦争と、調査対象が少しずつ広がっていきました。こうしたNGOや国連の調査活動によって、民間人の被害に世界の目が向けられるようになり、現在、調査の体制はしっかり定着しています」

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戦争犠牲者の保護についての条約改訂が議論された1906年のジュネーブ会議の資料

データを扱う「冷静さ」とは?

 こうした戦争のデータのあり方から、私たちは何を学べるのだろうか。五十嵐教授は、「データというものの扱い方について考えてみてほしい」と話す。

 「そもそも、私が戦争のデータに興味を持つことになったきっかけは、アフガニスタン戦争のデータに触れたこと。民間人の被害状況を調べてみると、アメリカ軍と国連とNGO、それぞれ発表しているデータが食い違っていたんです。2000年代以降の比較的新しい戦争でもそんなことが起こるのかと疑問に思い、誰がどのように調べたのか、データを巡ってどのような争いがあるのかを研究し始めました」

 「人はデータと聞くと正しいと思いがちですが、やみくもに信じるのは危険です。この例で言えば、アメリカ軍は民間人の被害者を少なく申告したいだろうし、現地の人ならより大きな被害にあったと言いたいわけです。それぞれのデータにバイアス(偏り)があることを意識して扱うことが必要です」

 「データを扱う上で大事なのは、データそのものを疑い、科学的にどこまで確証があるのかを確かめることです。しかし、それで不確実な部分があると分かったとしても、すべてを否定するのは違うと思います。存在するバイアスに気づき、どんな文脈があるのかを丁寧に解きほぐした上で扱うことで、より真実に近づけるかもしれません。また、データの確証を得るまでには時間がかかります。公害問題や、新型コロナウイルスワクチンなどの様に、確証を得るまでの影響を鑑み、たとえいろいろな可能性があっても科学者・専門家間で一番合意を得ている見解を信じる態度が求められるでしょう」

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7月7日出版の新刊『戦争とデータ ―死者はいかに数値となったか』(中央公論新社)

 五十嵐教授によると、昨今では民間人が戦争の現状をスマートフォンで撮影したSNS投稿動画が山のように存在しており、NGOがそのデータベースを作る動きがあるという。戦争の客観的なデータの生成に、一般市民が関わる時代が来ているのだ。今まで埋もれていた事実に光が当たるかもしれないという期待と共に、フェイクニュースに翻弄されるリスクも想定される。一般市民が戦争データの生成にどう関与すべきかを、五十嵐教授はこれから明らかにしていきたいと語る。



■関大先生チャンネル ─ 気づきを与える、知の動画アーカイブ
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戦争データを分析する(五十嵐元道 教授)

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五十嵐 元道 ─ いがらし もとみち
1984年生まれ。2014年英サセックス大学国際関係学部博士課程修了(D.Phil)。北海道大学大学院法学研究科高等法政教育研究センター助教、日本学術振興会特別研究員(PD)、関西大学政策創造学部准教授を経て、23年より教授。専攻は国際関係論、国際関係史。著書に『支配する人道主義―植民地統治から平和構築まで』(岩波書店、2016年)。共著に『「国際政治学」は終わったのか』(ナカニシヤ出版、2018年)ほか。