校外学習を行いました(6年生)

12月10日、6年生が歴史・平和学習の一環として、広島で校外学習を行いました。

広島に到着後、まずは原爆ドームに向かいました。もともとは、産業奨励館。原爆投下後のこの建物を残すか解体するかの議論に終止符を打ったのが、「あの痛々しい産業奨励館だけが恐るべき原爆を世に残してくれるだろう」という、18歳で白血病によってその生涯を終えた梶山ヒロ子さんの日記だと言われています。実際にこの原爆ドームがあることにより、子どもたちも原爆のことを考える機会を得ることができました。

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原爆投下の日からおよそ10年後、爆心地から1.7km離れた自宅で被爆した佐々木貞子さんが白血病で亡くなりました。「原爆の子の像」は、佐々木貞子さんの死に衝撃を受けた同級生が、原爆で亡くなった子どもたちの慰霊碑をつくろうと呼びかけたことで、建てられた像です。原爆で亡くなった子どもたちの死を悼むとともに、世界平和を願って、折り鶴を奉納しました。

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次に、平和記念資料館に向かいました。子どもたちは一生懸命、目に、心に焼き付けようと、観てまわりました。 その後、400名の児童と10名の教員の尊い命が奪われた本川小学校に向かいました。鉄筋コンクリートだったため、外壁が残り、被爆翌日から臨時救護所となったそうです。現在は、小学校でありながら、資料館としての役目も担っています。

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平和記念公園を探索した後、爆心地から2.5km離れた自宅で、8歳の時に被爆された八幡照子さんからお話を伺いました。 当時歌われていた軍歌を時折混じえ、被爆者の方が描いた絵を見せていただきながら、話を進めていただきました。 原爆を投下された当日の事は鮮明に覚えておられ、その時の様子や心情を事細かく話してくださいました。 子どもたちは、一言一句逃すまいと熱心に聴いていました。

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講話が終わって、子どもたちに一番心に残ったこと、思ったこと、感じたことなどを発表してもらいました。八幡さんは「こんなに次から次へと感想を言ってもらったことはありません。」と驚いてくださっていました。講話が終わってからも感想を伝えにいく子どもたちを見て、学ぶ意欲の高さに感服させられました。

子どもたちは現地でしか感じられないこと、体験できないことをしっかりと学ぶことができました。