経済学部GoLDプログラム(台湾)を実施しました

2019年12月15日から21日まで台湾で7日間のプログラムを実施しました(引率教員は 経済学部准教授 北川亘太、教授 片山直也)。台北、新竹、台南、高雄の大学、サイエンス・パーク、紀念館などをめぐったプログラムのなかでも、台湾の人びとと英語・中国語・日本語で関わり合ったものを取り上げていきます。


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1日目(2019年12月15日) 関西大学台湾OB会の懇親会への参加

 関西国際空港を出発して中正紀念堂を見学した後、学生たちは関西大学台湾OB会の懇親会に参加しました。なんと、OB会の李会長は、当日に関西国際空港から台北に移動してOB会に出席し、さらに次の日には東京に渡航されるという強行軍をなさってまで、私たちのためにこの会を開いてくださいました。他の先輩がたも、次の日の朝から仕事があるにもかかわらず、日曜日の夜に集まってくださり、遅い時間までつきあってくださいました。こうした先輩がたに深く感謝しながら、そして、歓迎されていることを強く感じながら、懇親会がスタートしました。
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 台湾プログラムが始まって最初の対外的なコミュニケーションということもあり、まだ一部の学生は外に向けて話をするモードに入りきれていませんでした。まず最初に、自己紹介の仕方について、学ぶことがありました。「サークルは〇〇に入っています。ゼミは〇〇先生のゼミです。よろしくお願いします」といった、よくある定型的な自己紹介では、相手にうまく自分を開示できていません。そもそも、大学生の自分を表すもの=所属サークル・所属ゼミではありません。台湾(の人たち)にどういう関心をもっているのか。このプログラムでどんなことができるようになりたいのか。そういった動機・関心を語りながら自分を表現することが、自己紹介をスタート地点としてうまく本格的なコミュニケーションに移行していく良い方法の一つであるような気がしました。
 その一方で、OB・OGの方がたは、学生との共通の話題である「関大」について、在校中にどのような経験をしたのか、OB会でのつながりをどのように活かしてきたのか、といったことから語り始めました。そのおかげで、スムーズに会話を進めていくことができました。「4年間で43都道府県をすべて回りましたが、日本で一番アットホームに感じる場所は千里山キャンパスですよ」といった言葉から、関大への強い愛着を感じました。
 先輩がたの関大時代の経験を知るだけでなく、かれらの今の仕事の状況や今の社会・政治についての意見から、私たちが事前学習した「頭で分かった知識」(米中貿易戦争、総統選、香港問題など)を、現地の人びと(ここではOB・OGの方がた)の生の体験と意見に基づいて深めることができました。
 例えば、米中貿易戦争については、台湾で生活している/台湾企業で/日系企業で働いている人が受けている影響を具体的に聴くことができました。米中貿易摩擦の強まりのなかで、台湾をとりまく国際関係(米・中・日・台・東南アジア)が動いていき、そのことが台湾内の政治(総統選挙)にも大きな影響を与えていることも、詳しく聴くことができました。こうして得られた現地での「体感」は、6日目の高雄科技大学での発表に向けて準備を進める際に、自分たちの発表内容が本当にこれで良いのかを見直すうえで大切な基準・視点になりました。
 OB会の場がどんどん熱気を帯びていき、多くの学生にとって、初めての台湾人と気持ちを共有できたという喜びをもちながら、先輩がたと関西大学台湾OB会の旗を持って全員で記念撮影をして会を締めくくりました。
 なお、OB会を通じて私たちが反省すべき点も見えてきました。先輩がたから「もっと積極的につながるための努力・工夫をしてほしい」という指摘を受け、学生たちが名札・連絡先のメモなどを用意していなかったことに気づきました。これは、引率教員をふくめ、プログラム参加者全体の反省点です。
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2日目(2019年12月16日) 日本台湾学生会議台北支部との交流

 授業を終えて11人の台湾大学の学生が駆けつけてくれました。両校の学生で企画した特殊な連想ゲーム(本学の学生がある日本語から中国語を連想し、さらにそこから台湾大学の学生が日本語を連想するゲーム)でアイスブレイクをしてから(かなり熱くなりました)、お互いの趣味(音楽、ドラマ、本)や大学生活についてワイワイおしゃべりをしました。なお、本学側では2名の学生がこの交流会の企画・運営で大活躍しました。

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 前日にOB会で積極的にコミュニケーションをとることの重要性を先輩から教わり、その「モード」に入っていたことから、すぐに小さな「輪」がたくさんできて、会話が盛り上がり、連絡先を交換しました。名残惜しそうに別れるとき、ある学生が、「何かのきっかけで偶然に集まった台湾・日本の学生がこんなにも仲良くなれるなんて、2時間前のスタート時には想像もできなかった」と言っていたのが、印象的でした。
 交流会を組織してくださった、台湾日本学生会議台湾支部の劉さんに深く感謝いたします。
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 後日談があります。台湾大学の理系の学生が、次の日(17日)のプログラムの内容に興味をもち、「白色テロ」の時代の軍法会議所・拘留所跡の人権園区の見学、白色テロ受難者との座談会、二二八国家紀念館の見学といった17日の見学に加わりました。そのとき、彼から、「祖父から当時の経験を聴くにはどのように接したらよいか」など、家族を見つめるような質問が出ました。この日学んだ歴史は、関西大学の学生と同じ年頃の台湾の学生にとって、自ら(の家族)と無関係とは言えない出来事だったのです。彼の質問から、現代史に光を当てることが、自分の身近な存在を見つめ直すきっかけになりうるという意義をもっていることに気づきました。
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3日目(2019年12月17日) 過去の歴史的事件(二二八事件・白色テロ)についての現地学習

 12月17日は、台湾現代史の当事者(受難者)の方がた(蔡焜霖さん・陳中統さん)に案内・解説役をつとめていただき、現代史の闇に包まれていた側面・出来事が究明され、人びとの認識、そして(一部の)教科書が書き換えられていく様子を、臨場感をもってたどりました。「受難者」本人たちとの質疑応答から、自分たちの体験を若者に語ることを通じて現代史を継承するというかれらの地道で懸命な活動が、私たちが事前学習で学んだ最近の台湾で若者が中心になった社会運動に結びついていることが分かりました。台湾の現代史と台湾の若者が中心になった出来事という別々の知識が「線」として結びついたような感覚を受けました。
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 次に、薛化元先生(政治大学教授)から「日治時期台灣歷史的記憶及其歷史意義」(戦後七〇年回顧 日本統治時期の台湾の歴史に関する記憶の再考を中心に)という演題で講演をしていただきました(通訳は同大学教授の李為楨先生)。台湾では、私たちとは全く異なる歴史的背景があるゆえに、歴史の教科書に書かれたこと/今の人びとの認識/実際に起こったこと(当時の人びとが感じていたこと)に大きなギャップが生じてしまいました。薛先生の講演から、歴史を丁寧に掘り起こし、その成果を普及させる活動を通じてそのギャップを小さくしようとしていることが伝わりました。学生たちは、歴史の教科書が、ある社会的・政治的な状況を背景に「構築された」ものであるかもしれず、その状況が変化すれば「再構築されうる」ことを感じ取りました。
 ところで、薛先生の講演での質疑応答で論点になったのは、「アイデンティティ」という言葉の意味でした。というのも、私たちがイメージする「アイデンティティ」の意味と薛先生(あるいは台湾の人びと)のいう「アイデンティティ」の意味にはズレがあったからです。何度も質問と応答を繰り返しながら、台湾の歴史的文脈を理解しつつ、ようやくそのズレを理解することができました。そのとき、このズレを理解できず、議論についていけなかった学生もいましたが、一部の学生は、薛先生の講演が終わったあと、仲間同士で議論を続け、台湾のアイデンティティが重層的であることを、例えば国家的意識/民族的意識/土地への帰属意識といった学生自身の言葉を用いて意識化していました。学生たちは、講演をきっかけに、そもそも歴史的文脈が違っていれば言葉の意味も大きく違ってくるかもしれないことに気づき、さらに、そうした認識しづらい意味やズレを仲間同士の議論を通じて言語化していくというとても高度な学習をおこなっていました。

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 最後に、蔡照益さん(AOTS台湾同窓会事務局長)から二二八国家紀念館の展示について詳しい説明を受けました。学生たちは、帰国後のレポートをより深いものにしようと、蔡さんに熱心に質問していました。
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 この日のプログラムは、薛化元先生・李為楨先生のご尽力と二二八国家紀念館のご支援で実現しました。深く感謝申し上げます。日本の学生に、台湾の現代史を通じて、台湾の「民主」と「自由」の概念を伝えたいという強い思いを感じ取りました。


 このころから、学生の自発的・即興的な動きがどんどんみられるようになってきました。
プログラム実施前の事前学習ではもじもじ下を向いていたり、質問は「何も出てきません」と言っていた学生が、3日目には、相手が提示してくれた情報をもとにして、誠実にまっすぐ相手の目を見ながら質問をするようになりました。こうした変化を目撃するのは、引率教員にとって強い喜びです。
 現地での「偶然」を活かしながら学習する姿もみられました。学習のきっかけになります。人権園区での見学時、たまたま現地の高校生の集団とすれ違いました。このとき、ある学生が果敢に、そしてフットワーク軽く、高校生たちに帰国後レポートを書くために必要なことを取材していました。引率教員が事前に説明をお願いしていた案内者・現地大学の教授からの情報だけに満足せず、こうして偶然にすれ違う人たちからも情報を得て、多角的に理解しようとする学生の能力・意欲に、私は舌を巻きました。


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観光名所の九份の事前学習を担当した学生が、九份の歴史(開発・衰退・再発見)
および白色テロとの関連性について事前に調べ、九份に向かうバス内でみなにそのことを発表しました。



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4日目・5日目(2019年12月18日・19日) 玄奘大学應用日語學系・應用心理學系の学生たちとの交流


 4日目・5日目、新竹にある私立大学、玄奘大学の應用日語學系・應用心理學系の学生たちと交流しました(運営・支援してくださった玄奘大學應用日語學系学生会の方がたに感謝いたします)。池田辰彰副教授の授業において、教える/教えられるという2つの立場・ワークを通じて少しずつ打ち解けていきました。
 一つめは、本学側の学生が玄奘大学の学生から中国語を学ぶという授業(ワーク)です。かれらは、はじめはぎこちなく会話していましたが、90分たつころにはお互いになじんでいました。2日目の「学生多元交流報告会」では、本学側は、早速そこで憶えたことを活用して、プレゼンテーションする前に、それぞれが中国語で自己紹介しました。

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 二つめは、本学側の学生が玄奘大学の学生に日本語を教えるという授業(ワーク)です。通常「国際交流」というと英語で/相手の言語で交流することを思い浮かべますが、国際交流において重要なことは、「お互いに」満足できる関係をつくることです。もし、こちらが相手から「一方的に」学ぶだけでは、相手側は十分に満足できないでしょう。日本語を学びたい相手側にそれを丁寧に教えることで、相手にとっても満足できる「互恵的な」関係をつくることができます。そして、相手に対して、もっと日本語を学んで交流したいという意欲・エネルギーを与えることができます。それだけでなく、日本語を相手に教えるなかで、多くの学生が、無意識に使っているものを意識的に言葉で教えることの難しさに気づきました。

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柿の染料でトートバック染めをしています。言葉の壁を忘れるほど作業に没頭していました。



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できあがったトートバッグを手に。



 
 19日の「学生多元交流報告会」(シンポジウム)では、司会進行を池田先生、コメンテイターを玄奘大学の應用日語學系の齊藤朗子助理教授と郭淑齢助理教授が務めてくださり、「関西大学4組vs玄奘大学4組」というかたちで各班が発表しました(報告会中にご挨拶していただいた教務長高旭繁教授と国際部主任の陳慧如副教授に感謝いたします)。


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 玄奘大学側が新竹の地理・文化・経済を説明したときに、本学の学生は、経済学部生らしく、「新竹に台湾で最初のサイエンス・パークができたのはなぜか」という質問をしていました(なお、玄奘大学の学生からの解答は、台北に近いから/新竹の近くにもともと製薬工場などの日本企業の工製がいくつか進出していた/土地の広さ/水資源の豊富さ、でした)。
 本学側の各班は、事前に池田先生が設定してくださった下記のテーマでプレゼンテーションをしました。

1. 台湾の学生生活に関する予測・下調べ
2. 台湾の街中探索に関する予測、下調べ
それぞれについて18日の両校の学生同士での新竹市街探索の体験を検証の素材に、報告を組み立て、発表する

 プレゼンテーションでは、玄奘大学の学生、本学の学生、それぞれの持ち味が出ており、交流・観察・検証を通じて考えを深めるという2日間の正式な目的を達成しているだけでなく、「ホントに~?」といった会場全体でのザワザワ感、会場からの大きな笑いなど、会場全体でとても良い雰囲気がつくられていました。「国際交流」というと1対1のコミュニケーションや班を単位とするプレゼンテーションをイメージしてしまいがちですが、「全体」として活発な状態を創り出すことができたのは、交流の大きな成果だと思います。

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 もちろん、ただ和やかなだけでなく、ピリリと身の引き締まるような場面もありました。ある班の発表で、齊藤先生が次のようなコメントをしてくださいました。

・あえてそのテーマを選び、深掘りすることによって、一体何を明らかにしようとしているのか、何を伝えたいのか。まず最初に、聴衆にそれを提示してほしい。
・調べたことの限界が分かっているならば、それを全てプレゼンテーションから落としてしまう(まるまる話さない)のではなくて、プレゼンテーションにおいて、限界があることを明確に述べつつ、その情報を聴衆に提供してほしい。そうすれば、聴衆は、その整理された情報に基づいて思考を深めることができる。

 この鋭いコメントは、プレゼンテーションだけでなく、何か資料(企画書・報告書・論文)をつくり、それを伝えるうえで、核心的な要素を私たちに教えようとしてくれているものであり、かれらの将来的な発展のためになるものでした。ちなみに、私(引率者の北川)も、齊藤先生のコメントの観点から、自分の研究・報告の仕方をもう一度見直さなければ、と心の底から感じました。
台湾35.jpg 最後、玄奘大学の学生とお別れするとき、お互いにとても名残惜しそうにしていて、(これは私にとって本当に嬉しいことですが)引き剥がして出発するのが大変なくらいでした。わずか2日間でこのような関係を築くことができた両校の学生たちの力に敬服しました。
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お別れのとき。







 このころから、この数日間で吸収してきた台湾の歴史・経済・政治の知識が頭になじんできたのか、ある1回生は、ある慣習的・法律的なルールが今日の台湾にみられる理由を相手方の先生が説明してくださろうとしたとき、何とその説明に先立って、「あ、そっか」とつぶやいていました。そのときの彼女の顔は、知的で深みのある顔にみえました。
 別の1回生は、見たこと・聴いたことに疑問をもって掘り下げていくことを身に着けていきました。烏山頭ダムの八田與一記念館において、土砂に高圧の水を吹きかけている(「セミハイドロリック工法」を実施している)当時の写真をみた瞬間、「そもそもこの水はどこから採っているんだろう。この放水機も高い技術だよね。どこから買ったんだろう」と疑問を口にしていました。彼女は、こうした「探求者」としての能力を身に着けたので、このプログラムが終わった後も、継続的に自ら自分の知識を広げ、知性を深めていくことができると思います。この台湾プログラムの隠れた(そして最大の)目的は、プログラム終了後も自分で自分を国際的に通用する人間として発展させていく力を各自が身に着けることであり、彼女は、5日目でその目的を達成していました。

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「女子」三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ!








6日目(2019年12月20日) 科技南部科学工業園区(台南)の見学

 南科管理局投資組科長の梁玉玲さんと専員の呉致陞さんによる園区(サイエンス・パーク)の説明を受けたあと、園区内を見学しました。この園区には半導体製造ファウンドリTSMCなどの工場があり、半導体産業に興味のある学生たちが盛り上がっていました。
 ある学生は、こうした先端産業のプラットフォームを運営している梁科長に、実務にとらわれない立場から想像力に富んだ質問を次々に繰り出していました(たどたどしくも熱量のある英語で)。彼は、喜んだ梁科長から"Smart Boy!"と言われていました。

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私たちのプログラムの"Smart Boy"





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初対面の職員さんとすぐに打ち解けていた2人。驚くべき力。







6日目(2019年12月20日) 国立高雄科技大学の学生たちとの交流

 6日目の午後、国立高雄科技大学を訪問し、管理學院行銷與流通管理系の学生たちとの国際ワークショップ「2019管理学院台日学術交流会 国際学術研究交流検討会」を実施しました(会を企画・運営してくださった同大学管理學院行銷與流通管理系黄吉村教授、開会時にご挨拶をいただいた徐世同教授と趙沛副教授に感謝します)。

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 このワークショップは、「英語を」学ぶのではなく、日台共通の関心・問題について「英語で」発表・議論し、理解を深めることを目的としています。日台それぞれ4つの班が、①消費文化の越境(台湾でのタピオカ文化の生成と日本での普及・変容)、②香港の市民運動(この出来事を通して日台の民主主義を再考する)、③米中貿易戦争(台湾・日本への影響と両国の立ち振る舞い方)、④労働政策(台湾/日本の働き方改革など)といった、今日動いている問題・トピックについてそれぞれ日本/台湾の立場から発表しました。

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緊張しながらも、伝えよう、楽しませようと一生懸命になっていることが分かりました。

台湾47.jpg           今回のプログラムでは1回生の飛躍・活躍が(も)目立ちました。


 このプレゼンテーションの準備と本番を通じて、「英語力」とは何かを考えさせられました。英語力やコミュニケーション力というと、通常、「流暢さ」「知っている単語数」などをイメージしてしまいますが、それよりもずっとずっと大事な要素に気づきました。

・話す内容を事前に繰り返し練習し、他の人に聞いてもらい、改善していく
・スマートフォンのメモを見ながら話さない(小さなスマートフォンを見ながら話す人は、視野がぐっと狭まり、自信がなさそうにみえたり、聴衆を意識していないように見えてしまいます)
・想定問答をしっかり準備する
・聴衆のほうを向きながら、はっきりした声で話す
・プレゼンテーションの内容を伝えるためには骨子がしっかりしていなければならない(→本学の学生は、骨子、構造、ストーリーを徹底的に作り込んでいたため、たとえ枝葉の部分で英語が若干つたなくても、内容がかなり伝わることを実感しました)

 これらは、「ペラペラ」や「流暢」といった(言い過ぎかもしれませんが)薄っぺらな意味での英語力ではなく、「心技体」、すなわち、事前の入念な準備、チームでの協力、何度も繰り返しての練習、伝えるという意志、それを表現するための身体的な工夫と深く結びついた英語力をあらわしています。
 やはり、英語をスムーズに用いる能力だけに注目すれば、総じてみると、本学の学生よりも国立高雄科技大学のほうが優れていました(ただし、本学の中にも、発音の丁寧さ、淀みの無さ、伝え方、どれをとっても極めて優秀な学生がいました)。しかし、発表での考察の深さに注目すれば、相手方の黄先生が認める通り、本学の4班いずれもが、大変優れた水準に達していました。しかも、本学の学生は、質疑応答の時間に積極果敢に質問し(その質問は、いずれも的確で、議論を深めるものでした)、ワークショップ全体を活性化することに大きく貢献しました。

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安定感ある落ち着いた発表。安心して聴くことができました。





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内容を的確に伝えるだけでなく、魅せる発表になっていました。



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質疑応答のトップバッター。英語での大きなワークショップでも、さっと手を挙げられるようになりました。



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4回生の貫禄ある質問。





 考察と質疑応答の質が高かったのは、このプレゼンテーションに向けて、学生たちが妥協なく内容を作り込んできたからでした。実のところ、本番に至るまでの準備の過程では、みなが一生懸命になったからこそ、以下のような葛藤が生じたりしていました。
 ある班では、それぞれが全力を尽くしてストーリーをつくったので、複数のストーリーが競合してしまいました。どれも誰かにとって思い入れのあるストーリーです。そこから一つのストーリーを選ぶときに、班内で強い葛藤が生じました。心を柔らかくほぐして、心を開いて、丁寧に話し合いました。あるストーリーを班としての基本のストーリーとして選び取りつつも、捨てることになってしまったストーリーをつくった人からの修正提案を積極的に受け入れて、その基本のストーリーを大きく修正していきました。その結果、より優れたストーリーができあがりました。このように、大きく膨れ上がった摩擦がある時点で一気に解消され、その過程で発表内容の水準が劇的に高まりました。この班の本番でのプレゼンテーションは、一丸となって自分たちの内容を伝えようとしていることがよく分かる、心のこもった素敵なプレゼンテーションになっていました。

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ワークショップ後の交流会にて

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 学生たちは、たった7日間のうちに、それぞれの役割を見出しながら、プログラム全体や班活動に貢献し、それを通じて、自らの持ち味を引き出していきました。もちろん、たくさん無理をしたり、苦労したと思いますが、プログラムの仲間の力を借りつつ、また、交流相手との関わり合いを通じて、かなりの学生が、出発時には思いもよらなかったことができるようになっていました。異質な「他者」(交流相手もそうですし、突きつめれば班員もそうです)との密な相互作用のなかで自分が高く飛び上がる。こうした国際的な人間としての学習・成長の仕方というのは、座学ではなかなか「伝える」ことが難しい類のものであり、一つのプロセス(私たちの場合、台湾プログラム)を通過したからこそ、私たちは「会得」「実感」できたのだと思います。

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                                記事提供:経済学部 北川亘太 准教授









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