KANSAI UNIVERSITY

熊本地震の初動体制における行政機関の対応体制についての調査報告(第1報)

2016年5月1日現在

関西大学 社会安全学部

  • 准教授 永田尚三

概要

 平成28年4月14日21時26分頃前震が発生した熊本地震は、16日1時25分に発生した本震で更に被害を拡大させ、その対応は未だ途上にある。熊本震災は、地震の規模やその特徴において、新潟県中地震(平成16年)との類似性が指摘される場合が多い。ただ防災行政研究という視点からは、むしろ北海道有珠山の噴火災害(平成12年)との類似性が大きいように思われる。北海道有珠山の噴火災害と熊本地震に共通するのは、極めて大きな災害後最初に発生した大規模自然災害であるという点である。国が震災後構築した新制度・システムのテストケースとして、防災行政研究上、本震災は重要な意味を持つ。阪神・淡路大震災(平成7年)や東日本大震災(平成23年)のような、極めて大きな災害が発生した場合、その後に災害対応についての検証が実施され、大きな制度・システムの改正が必ず行われる。
 阪神・淡路大震災の後、一番直近の大規模自然災害であった、北海道有珠山の噴火災害では、各中央省庁の審議官級が、すべて伊達市役所に設置された国の現地災害対策本部に集合し、当時、霞が関が伊達市に出来たといわれた。災害種別的には火山噴火と、阪神・淡路大震災とは異なるものの、新制度や新システムを運用し課題を摘出する視点からは、非常に有効は場であったといえる。政府や被災地の地方公共団体、広域応援で現地に派遣された消防、警察、自衛隊、一般行政職員の災害応急対応はどのようであったか、課題は何か。関西大学防災行政(永田)研究室では、4月25日に現地調査を実施した。研究調査は、まだ途上であるが、現地調査の概要について報告したい。

調査概要

関西大学防災行政(永田)研究室では、4月25日に第一回現地調査を実施した。
第一次隊(永田尚三・丸井和彦)4月25日

調査内容

(1)益城町の状況
 調査時点では、フェーズは災害応急対応から災害復旧に変わりつつあった。被害の大きかった、益城町役場周辺地域では、コンビニの再開はまだであったが、八百屋、ドラッグストア、スーパー等も再開し、商品も並び始めていた。また市役所向かいの商工会議所前でのだご汁等の炊出しには、大勢の住民が列をなしていた。「マスコミは、こういう活気のあるところは報道してくれない」との、地域住民の会話も聞かれた。

ただ、本震で益城町役場は一部損壊し、閉鎖されていた。市役所前の役場名称を記したプレートも剥がれ落ち、像も倒壊していた。市役所が使えないので、益城町災害対策本部は、益城町保険福祉センターに設置されていたが、避難所と併設のため、避難住民に囲まれた極めて狭いスペースで、職員が災害対応業務に追われる状況となっていた。また、熊本市等では、既に始まっているり災証明書も発行されておらず、役場職員のマンパワー不足や災害対策本部の作業環境的ハンデで、未だ災害応急対応の段階を脱していない印象を受けた。また、東日本大震災後、自治体間の広域応援体制が強化されたが、他自治体から応援に駆け付けた人的資源を、必ずしも有効に使いきれていないように思われた。(益城町保険福祉センター内部は、写真撮影禁止で、写真は外部のみ。)

また、市役所周辺地域の被害状況はひどく、全壊家屋が非常に多かった。一方、少しエリアを離れると、被害が軽微な地域も見られ、その差が激しい点が、今回の震災の特徴である。

(2)熊本市の状況
 益城町から、熊本市内に移動した。益城町と比較すると、復旧のスピードが速く、平静を取り戻しつつあるように思われた。熊本市中心部の商店街も、まだシャッターを閉じている店や、修復工事中の店もある一方で、人は戻りつつあった。ただ外食関係の店は、出張客や観光客の減少で、呼込みをしている店も見られた。

(3)熊本市役所の状況
 政令指定都市である熊本市では、人員に余裕があるためか、既にり災証明書の受付、市営住宅の無償提供の説明会が行われていた。また、空きスペースは、緊急避難所として使われていた。発災後時間が経過したためか、担当部局の職員はり災証明書や市営住宅の受付等に忙殺されている傍らで、その他の部局の職員は通常通りの業務を淡々と行っていた。災害時の適正な人的資源の配置が十分には出来ていない印象を持った。これらの点は、今後検証が必要であるよう思われる。

(4)熊本城の状況
 熊本市役所の向かいの、熊本城の石垣は、マスコミの報道通り、一部崩壊していた。

(5)熊本県庁・国の非常災害現地災害対策本部
 発災から2週間近く経過したこともあり、県庁内は比較的落ち着いていた。国の非常災害現地災害対策本部が設置され、その周りは、マスコミ関係者が大勢待機していた。今回は、外部から写真を撮るだけで、退散した。今回、国の非常災害現地災害対策本部は、迅速に設置されたように思われる。14日の前震発生5分後の21時31分には、官邸に対策室設置を設置し、緊急参集チーム招集が招集されている。そして21時36分には、総理指示が発出された。更に、22時10分に内閣府に河野防災担当大臣を本部長とした、国の非常災害対策本部が設置され、23時25分には内閣府情報先遣チームが被災地に向け出発し、翌15日10時40分には、熊本県庁に松本副大臣を現地対策本部長として、非常災害現地対策本部を設置している。平成27年3月25日に「現地対策本部業務マニュアル」が改正されたばかりで、かなり運用上、機能が強化された部分である。運用面が、想定通りにうまくいったか、今後の検討が必要である。
 また、熊本地震で、特に特徴的な点が、消防・警察以外の行政分野における広域応援体制の充実である。東日本大震災では、地方公共団体間の応援について、一部を除き国が調整を行う制度・システムがなかったことから、急遽、総務省、全国知事会、全国市長会、全国町村会が協力し、臨時で構築したスキームで、地方公共団体間の広域応援が行われた。このような教訓を踏まえ、災害応急対策業務に係る地方公共団体間の応援について、都道府県に調整規定が拡充され、国による調整規定が新設された。また消防、水防、救助等の人命救助に係る緊急性の極めて高い応急措置に限定されていた応援の対象業務が、避難所運営、巡回健康相談、施設の修繕等の災害応急対応一般に拡大された。
 その制度的変化に沿う形で、被災地では広域応援に駆け付けた他地方公共団体の一般職員や車両を多数見かけた。また熊本県庁には、広域応援できた県市の全体的連絡調整を行う現地本部が設置されていた。

発災後3日間の政府の対応

4月14日
21:26 地震発生
21:31 官邸対策室設置、緊急参集チーム招集
21:36 総理指示発出
21:55 緊急参集チーム協議
22:10 非常災害対策本部設置
23:21 第1回非常災害対策本部会議
23:25 内閣府情報先遣チーム出発
4月15日
5:59 緊急参集チーム協議
8:08 第2回非常災害対策本部会議
10:40 非常災害現地対策本部設置
13:00 政府現地対策本部・熊本県災害対策本部合同会議
16:07 第3回非常災害対策本部会議
17:00 政府現地対策本部・熊本県災害対策本部合同会議
4月16日
1:25 本震発生
2:38 総理指示発出
2:38 緊急参集チーム協議
5:10 第4回非常災害対策本部会議
10:00 政府現地対策本部・熊本県災害対策本部合同会議
11:30 第5回非常災害対策本部会議
16:00 政府現地対策本部・熊本県災害対策本部合同会議
18:34 第6回非常災害対策本部会議
  • 備考:内閣府「平成28年(2016年)熊本県熊本地方を震源とする地震に係る被害状況等について」より作成

(6)宇土市役所
 今回の災害で、大きな被害を受けた宇土市役所も、見に行った。周辺の建物の被害は、外から見る限り軽微だった。

まとめ

 まだ検証が必要であるが、東日本大震災後強化された部分(国の垂直補完、自治体間の広域応援)は、今回の熊本地震では、想定通り比較的うまく機能したように思われる、一方、被災地の市町村(地域公助)の災害対応体制に課題が見られた。今回被害を受けた市町村は、益城町をはじめ小規模市町村が多い。これらの小規模市町村では、り災証明書の発行業務等で、熊本市等の大規模市と比較して、遅れが発生する等、保有する資源不足から生じる対応の遅れが発生した。国の垂直補完体制や、自治体間の広域応援体制がいくら充実・強化されても、受援市町村の資源不足が対応体制の差となって生じることが、今回の熊本地震からは見えてきたように思われる。阪神・淡路大震災以降、被災地の地域公助をどのように補うかという問題意識の下、垂直補完や水平補完(広域応援)の体制強化が行われてきた。ただ今、市町村(特に小規模市町村)の地域公助力の強化そのものを如何に行うかを、考えねばならない時期に来ているように思われる。今後、どのようにして、地域公助の強化を行うと同時に、より実効性のある広域応援体制を構築していけるかが課題である。更に研究を進めていきたい。

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