関西大学 人間健康学部

講演会・シンポジウム等Seminer

社会福祉講演会を開催いたしました。

  • ■日時

10月20日(木)に、堺市と関西大学との地域連携事業として、社会福祉講演会を
開催いたしました。

講師:東京福祉大学教授 秋山智久
テーマ:人間の苦悩と人生の意味―社会福祉哲学の根本的問題―

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「人間は人生において多くの苦悩をもつが、なぜそのような苦悩を負わされるのか、
どのように考えれば心の平安が得られるのか」という、たいへん深い問いかけで
講座が始まりました。

そもそも人間の苦悩は「運命・宿命」、「個人の責任」、「社会の責任」のどれにあた
るのでしょうか。「なぜ自分がこのような苦悩を負わなければならないのか?」とい
う苦しみは、その原因が「社会の責任」である場合に増幅すると考えられます。

社会福祉の仕事は、まさにこの「社会の責任」に起因する苦悩を負う人びとの「なぜ
自分が?」という問いに寄り添うことですが、社会福祉従事者一人ひとりがもつ、
「内なる差別」が実践上の大きな課題となります。この点において、「福・祉」の
2文字はどちらも人間の幸福を探求するという意味であるにもかかわらず、ソーシャ
ルワーカーには、「他人の不幸で飯を喰っている」という自覚がつねに求められるこ
とが指摘されました。

さらに、人間の苦悩が、さまざまな宗教や古今東西の哲学者たちにどのようにとらえ
られてきたかについて、膨大な資料を整理して読み解いてくださいました。なかでも
「人間はいつか死ぬ」のだから「人生は無意味」であるという考え方と、「人生の終わり
の日は一足飛びに来るのではなく」(チェーホフ)、「眼の前のひとつひとつをこなして
いくなかで喜びを見出そう」(フランクル)とする態度との対比をとおして、私たちが
生きるうえでの拠りどころが示されたように思います。

個人が苦悩から立ち直るには、客観的な支援が必要となります。この客観的な支援
には社会福祉の諸活動が含まれます。この社会福祉活動には、他者の苦悩は「他人
ごとではない」という視点が求められます。ここでも、社会福祉従事者の「善意に秘め
られている身勝手なとげや優越感」への注意が喚起されました。そして、内なる差別
感を自覚したところから始まる「立ち尽くす実践」のもつ力強さが明確に示されました。

最後に、ホロコーストの生存者であるフランクルの「それでも人生にイエスと言おう」と
いうことばで90分間の講義が締めくくられました。