関西大学 人間健康学部

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優しい言葉

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先日、東京出張の帰り道。天王寺でJR阪和線に乗り換えるのだが、運悪く発車直前というタイミング。なりふり構わず小走りで最後尾のドアに滑り込む。「あーよかった、間に合った。」と弾んだ息を整えていると、「具合悪いんですか?」という女性の声。「ん? 私のことか?」と思って顔を上げると、どうやら車両右側のドアの傍に立っていた若い女性が声の主だったようで、彼女の視線の先には一目でそれと分かる酔っぱらいのおっちゃん。

 学生時代から乗りなれた阪和線では、こんなおっちゃんは「名物」みたいなもの。その風体から察するに、かなり重度のアルコール依存らしい。一方、若い女性は明るい金色の髪の先端近くはピンクに染め上げ、見てはいけないと思いつつ視線を下げると優に10㎝はあるクリスタルのピンヒール。なかなか濃厚なお化粧にど派手なピンクのコート、手元の書籍の表紙には「男と女の...」と大書きされてある。さっきの優しい声掛けの調子は明らかに大阪弁ではない。

 そんな派手なお姉さんに声をかけられたおっちゃんは、よく回らぬ舌を一生懸命滑らせて、何かを言おうとしている。吊り革をつかんで上体を倒し、じーっと耳を傾けるとおっちゃんは小声で「は、初めてや。声かけてもろたん。こんなぎょうさん人がおるとこで、初めて声かけてもろたわ。みーんな、ビジネスや、そればっかりや。ああ、俺は大丈夫、アルコールがな...、それで震えてるんやで。」

 お姉さんは、ちょっとぎょっとしたような表情でおっちゃんを一瞥し、ちょこんと頭を下げて男女関係論の書籍に視線を戻した。それを受けておっちゃん曰く「そ、そや。わかってるんやで、こんな酔っぱらいでもな。ちゃんと言わんとな。おおきに、ありがとう。」お姉さんはもう一度顔を上げ、今度は表情を変えないまま、小さく会釈した。

顔を上げて周囲を見渡すと、サラリーマン風の男性、大学生風の女性たち、高校生...、おっちゃんとお姉さんだけが異界の人に見える。私はガラス窓に映った自分の姿を眺めてみた。背広を着て、難しそうな面をして、通勤カバンを抱えている。うん、確かにビジネスばっかりだ。おっちゃんとお姉さんの両方から叱責されたような気がして、背中を汗が流れた。

 おっちゃんは私と同じ駅で降りた。車内に残ったお姉さんをもう一度見て、後ろに降り立ったおっちゃんを振り返ることはできずに、私は足を速めて改札口に向かった。