関西大学 人間健康学部

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オリンピックをもっと楽しむために、「公平な競争」の意味を考えてみる

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今年はオリンピックイヤーということで、スポーツファンは夏が来るのを楽しみにしていることでしょう。各地で代表選考が行われるなか、カンボジアのマラソン代表に、つい最近国籍を変えたばかりの日本出身の芸能人が選ばれたことは、スポーツ研究者として無視できない問題を感じました。

 このニュースに対して、テレビ報道では応援するメッセージを中心に紹介されていましたが、インターネットでは批判の声の方が大きかったようです。競技関係者の間でも意見は分かれていて、ある現役選手は、トップアスリートの間で人材豊富な国からお金持ちの国へ移籍する例が増えていることを理由に、国籍にこだわるのは時代遅れだと擁護しました。他方、長年カンボジアでマラソン競技の普及に協力してきた元選手は、外国の代表枠を金で奪う暴挙として怒っています。

 専門家としてこの問題を考えてみますと、「トップアスリートの活躍を応援する上で国籍を気にする必要があるのか?」と聞かれれば、「気にしない」という考え方があってもちろん良いと思います。しかし今回の場合、話題になっているランナーは2時間30分程度の記録しかもっておらず、トップアスリートと呼ぶのは無理があります。タイム競技でオリンピックに出るには、IOCが決める「参加標準記録」を突破してなければいけません。しかし、カンボジアのようなスポーツが盛んでない国に同じ基準を当てはめると誰も代表を送れなくなってしまいます。そのため、例外として陸上競技全体で1名だけ特別代表枠が与えられているのです。スポーツが発展途上にある国だからという理由で与えられた特別枠の使い方について、「国籍なんか気にするな」と言われても、やはり説得力はありません。

 スポーツは競い合うことを楽しむ遊びですから、その最高峰であるオリンピックでは公平性について特に注意する必要があります。圧倒的に不利な立場にある相手と競争を楽しむにはハンディキャップを与えることも有効ですが、それを悪用すればスポーツはその本来の価値を失ってしまいます。