関西大学 人間健康学部

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両方の目で見る世界

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帰りの電車の中で、よく夕日を見る。授業が終わって、電車に乗るとちょうどそんな時間。そして、ふと思う。どんなにすばらしい景色を見ても、それが一人だったらその体験の意味は半減してしまうのではないかと。そう、それはたとえば、片目で見る世界と両目で見る世界との違いのような。片目と両目、見えている世界はほとんど同じ。しかし何かが違う。片目で見ている世界はどこか平面的。それに対して、閉じていたもう片方の目を開いて両目で見たときに見える世界は、立体的に、奥行きと広がりを持って感じられる。たぶんそれと同じことが一人で景色を見ているときには起こるのだと思う。一人で見ている景色はあくまで片目の世界。隣に立つ誰かの気配を感じながら一緒に見ている景色こそが両目の世界。大事なことは二つ。一つは自分のほかにもう一人別の人を必要とするということ。もう一つは自分とその人との立ち位置がズレているということ。僕らは決して他の人と同じ視界に立つことはできない。そこにはどんなに小さなものであっても、ズレが生じてしまう。でも逆に考えればそのズレこそが意味を持つ。目が二つあるというのはそういうこと。目が微妙にズレて付いているからこそ世界は立体的に現れてくる。

僕らは他の人たちと決定的にズレている。いや、逆に言えば、世界を立体的に受け取るためにズラされていると言った方がいいのかもしれない。誰かの隣に立ち、その気配を感じながら同じ方向を見る。僕らと見ているものとの間にある二等辺三角形の中にこそ世界は立ち現れてくる。『星の王子さま』を書いたサン=テグジュペリが言ったことば、「愛するとは互いの顔を見つめあうことではなく、共に同じ方向を見ること」(『人間の土地』)とはそんな意味なのかもしれない。互いに向き合ってしまったのでは、平面的な世界を重ね合わせることにしかならない。そうではなく、共に同じ方向を見ることにより世界は立体的になる。そして、愛するとは世界を立体的なものにしていく営みのことなのだろう。