働く関大人 人は何色にも輝ける 28歳で立ち上げた新しい学校のかたち 教育業/代表
青楓館高等学院
岡内おかうち 大晟たいせいさん 

 岡内大晟さんが「青楓館せいふうかん高等学院」を兵庫県明石市に開校したのは28歳の時。資金も実績もない、文字通りゼロからの出発でしたが、開校から3年が過ぎた今、同校には約270人の高校生が通っています。その原動力となったのは「日本の教育を変えたい」という岡内さんの熱い思いと、その挑戦を支えた多くの人との出会いでした。

多くの人に支えられた無謀な挑戦

—青楓館高等学院はどんな学校ですか?

 青楓館は通信制高校と提携した、いわゆる「サポート校」です。生徒は青楓館に通いながら、卒業時には高卒資格を取得できます。2023年春に開校し、生徒数は270人。8割が不登校経験者で、2割は「今の教育では将来生き残れない」と考えて入学した生徒です。通学コースと通信コースがあり、9割が通学しています。登校は自由で、時間割をもとに生徒自身がスケジュールを組むので、大学に近いイメージですね。体育祭や文化祭、修学旅行もあり、放課後にはクラブ活動も行われています。

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—もともと教員志望だったと伺いました。

 祖父が高校の校長、母が幼稚園の園長という教育一家で育ったので、自分もいつかは教師になるのだろうと思っていました。高校卒業後は関大の人間健康学部に進学し、体育教員を目指していましたが、4年生次に行った教育実習で考えが変わりました。実習先は、生徒の大半が卒業後に就職するか専門学校へ進む公立高校。社会に出る直前の生徒たちを前に、「社会のことを知らない自分に何が教えられるんだろう」という疑問を抱き、まずは就職してから教師になることにしたんです。

—大学卒業後は東京のPR会社に就職されたのですね。

 営業力を磨くために入社し、3年間で約400人の経営者にお会いしました。経営者の方々は、「右向け右」と言われても「いや、俺は左やと思うな」「私は上だと思うね」と自身のポリシーを持っている。そんな方々だからこそ、経済を回し日本を盛り上げているのだと実感しました。一方、日本の教育は「右向け右」の画一的な授業。学校教育が送り出す人材と社会で活躍する人材の乖離が起きているわけです。

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 これからの時代は「右向け右」ではなく、個性を尊重し、その可能性を伸ばしていける教育が求められるのではないか――そう考え、AO入試(現在の総合型選抜)専門塾に転職します。そこでは校舎長として約50人の生徒を受け持ち、初年度から合格率100%を達成しました。しかし、塾で生徒と関わることができるのは、せいぜい週2~3時間。一人ひとりと接する時間が短すぎるため、限界を感じました。

—その思いを、どのように学校づくりへとつなげていったのでしょうか?

 もともとの人生設計では、営業力やマネジメント力を身につけたあとに会社を設立して資金を作り、40歳前後で学校設立の夢を実現するつもりでした。ところが、AO入試専門塾の後に勤めたコピーライターの事務所を2カ月で退職することになったんです。そんなとき、サポート校を立ち上げた経験のある方から「今が一番挑戦しやすい年や。岡内くんならできるよ」と背中を押され、青楓館の設立を決意しました。

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「青楓館の心得」を紹介する生徒たち

—設立資金やスタッフはどう集めたのですか?

 貯金は10万円しかなく、クラウドファンディングや知人からの支援で1,800万円ほど集まりましたが、それでもまったく足りず、別の事業を並行し奔走していました。ビジネスコンテストで最優秀賞を獲得したことや、補助金を3年間受けられることが決まって、ようやく息をつくことができましたね。
 共同創業者で学院長の藤原照恭は、AO入試塾時代の上司。大学院を卒業後、ケニアのNGO(非政府組織)で国際協力に従事した後、日本IBMとアクセンチュアで5年間、コンサルタントを務めた経験の持ち主です。青楓館のPBLのマニュアルは、藤原のコンサル能力が核となっています。PBLで連携する企業や地域の方々、生徒をサポートする講師陣は、さまざまなご縁をきっかけにつながることができました。無謀な挑戦ができたのは、間違いなく多くの人に助けていただいたおかげです。
 ただ、初年度の学校説明会では、参加者ゼロの回もありました。「まあ、そうなるよね」と藤原と笑い合い、そこから試行錯誤したのも今となっては良い思い出ですね。

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授業は「社会で必要な学び」に重点

—こうした岡内さんの経験が、青楓館の教育に生かされているのですね。

 はい。従来の5教科7科目に捉われず、社会で必要な学びに力を入れています。その一つが企業や地域との連携を通じ、社会で求められるスキルを身につけるPBL(プロジェクト型学習)です。

—PBLでは具体的にどんなことに取り組んでいるのでしょうか?

 PBLでは生徒たちがグループで社会課題の解決を目指します。「熊本PBL」(写真左)では、障がいの有無にかかわらず誰もが安全に楽しめる「インクルーシブ公園」の整備を進める熊本県大津町に協力。公園に対する理解を深めてもらうため、地域住民や障がいのある人、外国人が交流するイベントを実施しました。現在は神戸の北野異人館街の魅力をPRしたり(写真右)、自分が欲しい文房具を形にしたりするなど、10件のPBLが進行しています。PBLへの参加は自由ですが、その経験や実績は大学進学時の総合型選抜入試で大きな武器となります。

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 このほか、「コミュニケーション」「心の成長」「ビジネス戦闘力」という3つの教科軸から独自のカリキュラムも設けています。英語対策やリサーチ、プレゼンテーション、聞く力、ビジネスマナーといった授業があり、受講すれば生徒はバッジをもらえます。ゲームのように、集めたバッジの数に応じて参加できるPBLやクラブが異なる仕組みにしています。

—いわゆる「担任の先生」はいないそうですね。

 生徒が不登校になる原因の2割は、教員との人間関係だと言われています。だから教員全員で一人の生徒を見る仕組みにしました。青楓館では、全教員が生徒全員のことを把握しています。生徒が教員と週に一回、一対一で自由に話せる「1on1」の時間も設けています。教員は約20人いますが、PBLなどを中心に据えた教育活動のため、教育免許は必須ではありません。元中学校の教員もいれば、アパレルやハウスメーカー、コンビニチェーンの出身者もいます。皆、青楓館の教育理念に共感して集ってきた仲間です。

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卒業生たちが実証した「変われる」力

—校名にはどんな思いが込められているのでしょう?

 校名には、「美しく変化する」という花言葉を持つ「楓」を採り入れました。今はまだ青い若葉かもしれないけれど、これからどんな色に変わっていくのか――僕たちが、生徒一人ひとりの可能性を信じる姿勢を表しています。また、これから末永く存続させる意思も含め、伝統と歴史を感じさせる「館」を使用しました。

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—開校から3年。手ごたえはどうですか?

 これまでに約80人が卒業し、そのうち6~7割が大学に進学しました。中学時代は1日も登校できなかったのに、青楓館在学中にインド、マレーシア、韓国に留学し、マレーシアの大学に進学した子もいます。PBLに求められるのは偏差値ではなく、「やるかやらないか」。リサーチが得意な子、場を盛り上げる子、黙って手を動かす子と、役割分担が自然にできる。だから、青楓館では学力差の問題は起きません。

 「通信制高校に来てしまった」という思いは簡単には消えません。それを武器に変えるのが僕たちのやり方です。
 「弱みを武器にできる」。開校から3年経ち、卒業生がそれを体現してくれています。「本当にあの子は不登校だったのか」と思うほど輝いている子ばかり。それが後輩への一番の説得力になっています。

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—青楓館をどんな学校にしたいですか?

 3年以内に生徒数1,000人と学校法人化を目指しています。ゆくゆくは数万人規模まで広げるつもりです。今年4月には芦屋校を開校しました。高校だけでなく中学校や小学校とも協働したいですね。ミッションは「子どもの未来を守る」ことです。学校は社会に出るための準備の場であるにもかかわらず、社会について学ぶ機会が十分とは言えません。だからこそ、青楓館のような学校が日本の教育の「王道」になってほしい。ここに骨を埋める気持ちでやっています。

野球で磨いたチーム運営力

—大学まで野球をしていたそうですね?

 小学生から始めた野球は、中学2年の時に一度離れています。当時はチームのキャプテンを務めていましたが、監督とチームメイトの間で板挟みになり、精神的に追い詰められました。そんなとき、眼科医から「このまま野球を続けたら失明するかもしれない」と告げられたんです。衝撃でしたが、一方で「これで野球を辞める理由ができた」と感じる自分もいました。今振り返ると、あの経験が教育に対する考え方の原点になっています。苦しさを抱える子どもには必ず居場所が必要だし、人は環境や出会いによってコンプレックスを強みに変えることができる。そんな思いが今の教育活動の根底にあります。

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—野球の経験は仕事に生きていますか?

 めちゃくちゃ役に立っています。僕は高校で野球を再開し、関大では人間健康学部準硬式野球部に所属、2~3年生次にはキャプテンを務めました。起業家って精神的にきつい局面に何度も遭遇します。でも、野球をやっていたおかげで、気持ちが大きく落ち込んだときの立て直し方が分かっている。キャプテンも経験したので、10代の頃から「チームをどう動かすか」「メンバーのモチベーションをどう上げるか」を考えてきました。失敗も含めてですが、今の学校運営に直結しています。

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関西大学人間健康学部準硬式野球部時代の岡内さん(写真右)

教えて!働く関大人

必須アイテム

 仕事の必須アイテムはノート。書くことは脳科学的にも良いとされ、思考の整理に役立っています。教育に関するアイデアも、ぐるぐると頭の中に回っているものをノートに書き出すことで形になります。知り合った経営者の方々と会食するときも、ヒントになる話を聞いたら必ずノートを開いてメモします。相手も「この人は本気だ」と感じてくださり、一種のコミュニケーションツールにもなっています。

ある1日のスケジュール

  9:00 経営会議
 10:00 教職員と打ち合わせ
 12:00 社内にてランチミーティング
 13:00 取引先と打ち合わせ
 14:00 生徒とPBLのミーティング
 15:00 SNS企画のミーティング
 16:00 生徒とPBLのミーティング
 17:00 人事採用会議
 19:30 会食

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愛用しているノートには、びっしりと文字が並ぶ

リフレッシュ方法

 読書が好きで、ビジネス書や教育関連はもちろん、アートや行動経済学といった分野も含めて週に1冊は読んでいます。最近のお薦めは松村真宏さんの『仕掛学—人を動かすアイデアのつくり方』(東洋経済新報社)。人を自然に動かす仕掛けを事例を通じて学べる一冊で、青楓館の環境作りのヒントにもなりました。夜、カフェでノートにメモを取りながら本を読んでいます。

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生徒たちに手に取ってほしい書籍を集めた青楓館の本棚

岡内さんから関大生へのメッセージ

教育業/代表
青楓館高等学院
岡内おかうち 大晟たいせいさん

2017年人間健康学部卒
大阪府 浪速高等学校出身