研究>論説
泊園書院に関する論文や記事を載せています。
なお、雑誌『泊園』所載の記事については泊園記念会内のペ―ジ(雑誌「泊園」)をご覧ください。
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2009年
- 藪田貫「西尾家と文化活動―第十一代西尾與右衛門を中心に―」(『旧西尾家住宅総合調査報告書』、吹田市教育委員会、2009年)
2008年
- 西田孝司「大阪南部に残る泊園書院藤澤南岳・黄鵠・黄坡の揮毫と碑文――中河内郡恵我村別所の中山家資料を中心に」(『なにわ・大阪文化遺産学研究センター 2007』、関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター、2008年)
- 西田孝司「逍遥游社における藤澤南岳・黄鵠・黄坡」(『泊園』第47号、泊園記念会、2008年)
- 陶徳民「「時流に乗らない」という泊園精神:幕末・明治における徂徠学者の動向」(『東アジア文化交渉研究』別冊2、関西大学文化交渉学教育研究拠点、2008年)
- 沈薇薇「一八九〇年代東アジアにおける「国教」樹立運動の動き――康有為と藤沢南岳の国教論について」(『千里山文学論集』第80号、2008年)
2007年
- 「江戸の思想家、響く音楽論――大阪府立大正高校教諭印藤和寛氏」(『日本経済新聞』朝刊、2007年1月18日)
- 「陳舜臣の風月同天 もう一つのわが処女作 国境なき世によみがえれ」(『読売新聞』大阪夕刊、第8面、2007年2月13日)
- 住谷晃一郎「自在に生きる~玉楮象谷伝 維新と晩年」(『朝日新聞』朝刊〔香川〕、第33面、2007年3月23日)
- 有馬卓也『近世阿波漢学史の研究 古学者高橋赤水』(中国書店、全305頁、2007年)
2006年
- 矢羽野隆男「西村天囚と泊園書院と――藤澤南岳編『論語彙纂』への天囚書入れをめぐって」(『中国学の十字路――加地伸行博士古稀記念論集』所収、研文出版、2006年)
- 小林和彦「泊園書院の伝統―泊園学と藤澤南岳・石濱純太郎を通しての一素描―」(『泊園』第45号、2006年)
- 長谷川雅樹「私塾 泊園書院の漢学」(藤善眞澄編『東と西の文化交流』所収、関西大学出版部、2006年)
- 藪田貫「文化遺産と〈絆〉 : 菅楯彦画 藤沢南岳賛「猿田彦」の紹介」(『阡陵』52号、関西大学博物館、2006年3月)
- 「心ブラしましょ 橋爪節也 桓夫と麟太郎がばったり」(『産経新聞』大阪夕刊、2006年8月14日)
- 「盤側 将棋を愛した藤沢桓夫」(『産経新聞』大阪朝刊、2006年8月20日)
2004年
- 吾妻重二「道明寺天満宮「釈奠」参列の記」(『泊園』第43号、2004年 のち「大阪道明寺天満宮の釈奠について」として吾妻『宋代思想の研究』〔関西大学出版部、2009年〕に収む)
- 「懐かしき学舎:2 橋爪紳也の絵はがき漫遊」(『朝日新聞』大阪夕刊、2004年9月13日)
2003年
- 三浦叶「牧野藻洲先生」(三浦『明治の碩学』所収、研文出版、2003年)
2001年
- 長谷川雅樹解説 藤澤東畡著『辨非物』(関西大学東西学術研究所資料集刊22、関西大学出版部、2001年)
- 長谷川雅樹「東畡における泊園学の成立―『東畡先生詩存』より」(『関西大学東西学術研究所創立五十周年記念論文集』所収、関西大学出版部、2001年)
- 陶徳民「「清板二弁」を祝う泊園の賀宴―幕末における徂徠学の動向―」(同上 のち「天保期の藤澤東畡から見た銭泳編『海外新書』―荻生徂徠と大塩中斎の評価問題をめぐって―」として陶『日本における近代中国学の始まり』〔関西大学出版部、2017年〕に収む)
- 『関西大学東西学術研究所創立五十周年記念 大坂の学問―泊園文庫・内藤文庫・増田文庫―』(展観目録、全45頁、関西大学東西学術研究所、2011年)
- 有馬卓也「高橋赤水と六人の漢学者」(『徳島大学国語国文学』第14号、2001年)
- 松井良祐「藤沢東畡と豊岡藩・猪子清」(『鴨東通信』第42号、思文閣、2001年6月)
- 芳賀徹「詩歌の森へ 鎮魂の名曲」(『日本経済新聞』朝刊、2001年8月12日)
- 岡村伸男「親友・竹林上人と中山城山」(『郷土誌志度』第17号、志度町文化財保護協会、2001年)
- 有馬卓也「高橋赤水と六人の漢学者」(『徳島大学国語国文学』第14号、2001年 のち有馬『近世阿波漢学史の研究 古学者高橋赤水』〔中国書店、2007年〕に収む)
2000年
- 末澤国彦「松岡康毅にみる儒学の影響についての一考察――藤沢南岳との関係から」(『日本大学精神文化研究所紀要』第31集、2000年)
- 「上方時空散歩43 淀川界隈6 今も"現役"の愛珠幼稚園」(『産経新聞』大阪朝刊、2000年3月9日)
- 「イブニングマガジン 大阪外大附属図書館 「石浜文庫」は貴重な文献の宝庫」(『産経新聞』東京夕刊、2000年4月3日)
1999年
- 陶徳民「泊園徂徠學與明治時代的國家主義教育―─藤澤南岳的思想」(黄俊傑編『儒学思想在現代東亜:日本篇』所収、中國文哲研究所籌備處、1999年6月 のち「泊園徂徠學與明治時代的國家主義教育」として陶『日本漢学思想史論考――徂徠・仲基および近代』〔関西大学出版部、1999年〕に収む)
- 中山城山展実行委員会編『中山城山展資料集』(香南町歴史民俗郷土館、1999年)
1998年
- 三浦叶『明治の漢学』(汲古書院、1998年)
- 壺井義正「泊園書院について」(『籍苑』第27号、関西大学図書館、1988年)
- 梅渓昇編著『大阪府の教育史』第二章第六節「私塾」(思文閣出版、1998年)
- 陶徳民「藤澤南岳の国家主義教育思想」(大阪大学文学部日本史研究室編『近世近代の地域と権力』所収、清文堂出版、1998年)
- 陶徳民「「上西園寺公書」考―藤澤南岳の未刊書簡について」(『関西大学文学論集』第47巻第3号、1998年 のち「藤沢南岳の国教論」として陶『日本漢学思想史論考――徂徠・仲基および近代』〔関西大学出版部、1999年〕に収む また「井上・西園寺両文相に働きかけた藤澤南岳の「国教論」―「上西園寺公書」をめぐる検討―」として陶『西教東漸と中日事情 拝礼・尊厳・信念をめぐる文化交渉』〔関西大学出版部、2019年〕に収む)
1996年
- 坂出祥伸「中山城山『黄庭経略註』について(上)」(『関西大学文学論集』第46巻第2号、1996年)
- 「中山城山の仏教研究」(菊池高洲ほか『香水甘冽』、中山城山会、1996年)
- 松原好勝「円光寺に残る藤澤東畡の書」(『ふるさと長尾』第19号、長尾町文化財保護協会、1996年)
1995年
- 馬場栄一『志操 中山城山』(馬場栄一、1995年)
1994年
- 大庭脩「石浜純太郎(一八八八~一九六八)」(江上波夫編『東洋学の系譜』第二集所収、大修館書店、1994年)
- 中山城山原著、桑田明編訳『中山城山現存全集』全6冊(香川県香南町、中山城山顕彰会、1994年)
- 桑田明編『中山城山先生の香南町及びその周辺にかかわる詩文』(全37頁、香南町教育委員会)
1993年
- 馬場栄一『中山城山の生涯』(付:城山関係年表、高松、美巧社、1993年)
1992年
- 塩江町教育委員会『藤澤東涯とその一族』(塩江町教育委員会、全160頁、1992年)
- 藤川正数「藤沢南岳の漢詩「寒霞渓」(再考)」(『香川大学国文研究』第17号、1992年)
- 壺井義正「東洋文学科・中国文学科開設縁起」(『関西大学中国文学会紀要』第13号、1992年)
- 芝田稔「中国文学科開設二十五周年記念に寄せて」(同上)
1991年
- 『大阪府立中之島図書館蔵 藤沢文庫目録』(大阪府立中之島図書館、1991年)
- 「"浪速の文士"藤沢桓夫さんしのぶ三回忌に250人」(『毎日新聞』大阪朝刊、第27面、1991年6月13日)
- 「庄野英二さん 藤澤桓夫さんの3回忌 人きのうきょう」(『朝日新聞』大阪夕刊、第2面、1991年6月14日)
1990年
- 新修大阪市史編纂委員会「泊園書院 藤沢東畡」「藤沢南岳」(『新修大阪市史』第4巻、近世Ⅱ、大阪市、1990年)
- 大庭脩編輯『泊園記念会設立三十周年 泊園書院展』展観目録、関西大学東西学術研究所、全25頁、1990年)
- 加地伸行「泊園書院と懐徳堂――大坂の学問」(『泊園』第30号、1990年)
- 大庭脩「石浜純太郎先生とS・エリセーエフ博士」(『百材』第26号、関西大学史学地理学科同窓会、1990年、のち大庭『昭和元年生まれ達』〔株式会社同朋舎出版、1997年〕に収む)
- 後藤英子『逝く水 泊園の伝統』(私家版、1990年)
1989年
- 石濱恒夫「創業者祖父・石濱豊藏」(『丸石製薬百年史』所収、丸石製薬株式会社、1989年)
- 「藤沢桓夫さん死去 大阪文壇の長老」(『朝日新聞』朝刊、第31面、1989年6月13日)
- 「大阪のエスプリ愛した多彩人 藤沢桓夫さん死去に各界の声」(『朝日新聞』大阪朝刊、第27面、1989年6月13日)
- 「大阪描いて半世紀 作家・藤沢桓夫さん死去」(『毎日新聞』東京朝刊、第31面、1989年6月13日)
- 「作家・藤沢桓夫さん死去」(『読売新聞』朝刊、第31面、1989年6月13日)
- 「大阪文壇の長老、藤沢桓夫さんに別れ」(『朝日新聞』大阪朝刊、第27面、1989年6月15日)
- 『文学雑誌』第61号、藤澤桓夫追悼号(《文学雑誌》発行所、1989年11月)
- 谷沢永一・肥田晧三編「藤澤桓夫先生著書目録」(同上)
- 「年譜抜萃―大阪帰住まで」(同上)
- 「将棋と文学雑誌」(藤澤典子)
- 司馬遼太郎「弔辞」(同上)
- 小野十三郎「悼詩」(同上)
- 「追悼記」庄野英二、吉井栄治、大塚滋、庄野潤三、瀬川健一郎、竹谷正、澤野久雄、中谷栄一、東秀三、田辺聖子、橋本都耶子、桝井寿郎、大谷晃一、中西源吾、鬼内仙次(同上)
1988年
- 壺井義正「泊園書院について」(『籍苑』第27号、関西大学図書館、1988年)
- 八角真「"一誠以奉公の人"――三崎驎之助略伝――」(『明治大学教養論集』第213号、日本文学、1988年)
1987年
- 水田紀久『近世日本漢文学史論考』(汲古書院、1987年)
- 横田健一「四十年の回顧―主として史学科創成期―」(『百材』第23号、関西大学史学地理学科同窓会、1987年)
1986年
- 関西大学百年史編纂委員会『関西大学百年史』通史編・上巻(学校法人関西大学、1986年)
- 横田健一「藤沢章次郎(一八七六~一九四八)」(関西大学百年史編纂委員会『関西大学百年史』人物編、学校法人関西大学、1986年)
- 横田健一「石浜純太郎(一八八八~一九六八)」(同上)
- 「命名は儒学者 通天閣鼻高々」(『朝日新聞』大阪夕刊、1986年3月25日)
1985年
- 水田紀久「資料併記 春田横塘年譜攷」(『金蘭短期大学研究誌』第15号、1985年 のち水田『近世日本漢文学史論考』〔汲古書院、1987年〕に収む)
- 壺井義正「泊園文庫」(『籍苑』第20号、関西大学図書館、1985年)
- むかいしんや「回想の泊園書院」(『大阪春秋』第44号、1985年)
- 城山会編『城山先醒門人帳』(城山会、1985年)
- 「大阪府18 「すきとおった人」 新人国記85:921」(『朝日新聞』大阪夕刊、第1面、1985年2月18日)
1984年
- 藤川正数「無窮会図書館蔵荀子考について(下)―藤澤東畡の荀子学を中心として―」(『東洋文化』復刊第52号、1984年)
1983年
- 神田喜一郎『明治漢詩文集』(明治文学全集62、筑摩書房、1983年)
- 藤沢桓夫『回想の大阪文学―明治・大正・昭和の大阪文学を語る―』(なにわ塾叢書11、ブレーンセンター、1983年)
- 石濱恒夫『大阪詩情 住吉日記・ミナミ――わが街』(朋興社、1983年)
- 藤川正数「泊園文庫所蔵「荀子」の書入れについて―藤澤南岳の荀子学を中心に―」(『斯文』第86号、1983年)
- 藤川正数「無窮会図書館蔵荀子考について(上)―藤澤東畡の荀子学を中心として―」(『東洋文化』復刊第51号、1983年)
- 藤沢桓夫「釈奠の思い出」(『大阪春秋』第11巻第1号、通巻35号、大阪春秋社、1983年)
- 壺井義正「釋奠会の文苑」(同上)
- 長谷川雅樹「泊園書院の四先生」(同上)
- 小泉豊「道明寺天満宮釈奠会」(同上)
- 藤澤昭子「道明寺天満宮釈奠会八十年における寄贈書画家の動向」(同上)
- 南坊城充興「日本の釈奠の流れと菅原道真公の係わり」(同上)
- 横田健一「藤沢東畡先生と泊園書院の学統」(『文化高松』第5号、高松市文化協会、1983年)
1982年
- 北村学「藤沢東畡―人と詩―」(『大阪学院大学人文自然論叢』第9号、1982年)
- 藤沢桓夫『私の大阪』(創元社、1982年)
1980年
- 中村久美「藤沢南岳の文学について―詩を中心に―」(『香川大学国文研究』第5号、1980年)
1979年
- 藤澤甫撰、藤澤恒編『泊園家言』(長沢規矩也編『影印日本随筆集成』第11輯所収、汲古書院、1979年)
1977年
- 大阪外国語大学附属図書館編『大阪外国語大学所蔵 石浜文庫目録』(大阪外国語大学附属図書館、1977年)
- 松原秀明「中山城山関係の資料について」(『香川中国学会報』第9号、香川中国学会、1977年)
1976年
- 米谷修「心学明誠舎・泊園書院と洗心洞」(『大阪春秋』第12号、特集:大阪の学校、1976年)
1975年
- 肥田晧三「藤澤桓夫先生著書目録」(『混沌』第2号、1975年)
- 肥田晧三・谷沢永一編「藤沢桓夫先生著作目録」(『大阪春秋』第7号、1975年)
- 柴田實「徂徠学と泊園文庫」(『荻生徂徠全集』第3巻、月報3、河出書房新社、1975年)
1974年
- 日下恒夫「清代南京官話方言の一斑――泊園文庫蔵《官話指南》の書き入れ」(『関西大学中国文学会紀要』第5号、1974年)
- 「わが国初の「西夏文字」碑(『朝日新聞』夕刊第9面、1974年3月9日)
- 藤沢桓夫『大阪自叙伝』(朝日新聞社、1974年)
- 藤川正數「高松藩学講道館の新建大聖廟記について」(『香川大学教育学部研究報告』第1部第37号、1974年)
- 「訪問記 藤沢さんと泊園書院」(聞き手:山田政弥、『大阪春秋』第4号、1974年)
- 平野翠「藤沢東畡の梟首状」(『混沌』創刊号、中尾松泉堂書店、1974年)
- 末弟子「大壺先生を憶ふ」(同上)
- 横田健一「史学科創設のころ―史学科二五年の歩みを顧みて―」(『百材』第10号、関西大学史学科同窓会、1974年)
1973年
- 水田紀久「『海外新書』浅説」(中村幸彦博士還暦記念論文集刊行会『近世文学 作家と作品』中央公論社、1973年 のち水田『近世日本漢文学史論考』〔汲古書院、1987年〕に収む)
- 木村英一「大阪の漢学」、水原渭江「大阪の漢詩壇について」、水田紀久「泊園書院」、 水原渭江「藤本煙津について」、同「岡田松窓について」(小島吉雄編『大阪の学問と教育』所収、毎日放送文化双書9、毎日放送、1973年 このうち水田論文はのち水田『近世浪華学芸史談』〔中尾松泉堂書店 、1986年〕に収む)
1972年
- 村田忠兵衛「大壺石濱純太郎先生―特に大阪人として―」(『懐徳』第42号、懐徳堂堂友会、1972年)
1969年
- 浅井允晶「『泊園書生姓名録』について(附原文)」(『史泉』第38号、関西大学史学会、1969年)
- 藤枝晃「町人学者・石濱純太郎」(『図書』234号、岩波書店、1969年)
- 横田健一「史学科創設のころ」(『百材』第5号、関西大学史学科同窓会、1969年)
- 河崎章夫「石浜先生のこと」(同上)
- 松本清張『小説東京帝国大学』(新潮社、1969年)
1968年
- 神田喜一郎「追随許さぬ博識 石浜純太郎博士を悼む」(『サンケイ新聞』第12面、1968年2月12日 のち神田『敦煌學五十年』〔筑摩書房、1968年〕に収む)
- 藤枝晃「大阪文化に"オアシス" 石浜純太郎先生をいたむ」(『読売新聞』第7面、1968年2月13日)
- 高橋盛孝「石浜大壷先生の思い出」(機関誌『関大』第153号、1968年3月15日)
- 藤沢かつ「若き日の弟石浜」(『泊園』第7号、1968年)
- 高橋盛孝「石浜会長の印象」(『日本西藏學會々報』第15号、1968年)
- 三上諦聴「石浜先生を偲ぶ」(『百材』第4号、関西大学史学科同窓会、1968年)
1967年
- 水田紀久「春田横塘行状注」(『國文學 言語と文藝』第51号、1967年 のち水田『近世日本漢文学史論考』〔汲古書院、1987年〕に収む)
1965年
- 石浜純太郎・藤沢かつ・三上諦聴ら「座談会 泊園を語る」(『泊園』第4号、1965年)
- 松本洪「鶴鳴録」(同上)
1964年
- 水田紀久「南岳先生『不苟書室日録鈔』を読む」(『泊園』第3号、1964年 のち水田『近世日本漢文学史論考』〔汲古書院、1987年〕に収む)
- 大庭脩「東畡先生百年祭記念碑除幕式に参列して」(『泊園』第3号、1964年)
- 「泊園書院」(大阪府前編9、新人国記555、『朝日新聞』夕刊第2面、1964年4月25日)
1963年
- 『藤沢東畡先生 百年祭記念』(香川県塩江町東がい顕彰会、全6頁、1963年)
- 水田紀久「東畡先生周辺」(『泊園』第2号、1963年、石濱純太郎と連名で掲載 のち水田『近世日本漢文学史論考』〔汲古書院、1987年〕に収む)
1962年
- 石浜純太郎「大阪の文化と泊園」(『泊園』創刊号、1962年)
- 高橋盛孝「藤沢黄坡先生」(同上)
- 壺井義正「泊園文庫に関すること」(同上)
- 三上諦聴「泊園記念会設立の由来」(同上、雑報)
- 小林人麿「松平家所蔵城山先生荘子「書き入れ」の研究」(『香川大学学芸学部研究報告』第1部第15号、香川大学学芸学部、1962年)
1961年
- 石濱純太郎「大阪の文化と泊園」、泊園講座開講にあたって①(機関紙『関大』第72号、1961年3月15日)
- 藤澤桓夫「泊園講座に寄せて」、高橋盛孝「藤澤黄坡先生」、泊園講座近く開講(機関紙『関大』第73号、1961年4月15日)
- 壷井義正「泊園講座に関すること」泊園講座開講にあたって③(機関紙『関大』第74号、1961年5月15日)
- 「第一回泊園講座ひらく 功績たたえ記念会発足 定期的講会活動めざす」(機関紙『関大』第75号、1961年6月15日)
- 泊園記念会「泊園記念会の誕生」(『上方文化』第2号、大阪文化研究所、1961年)
- 石濱純太郎「報告」(『關西大學東西學術研究所々報』第1号、1961年11月)
1960年
- 壷井義正編『關西大學泊園文庫藏書書目 索引之部』(関西大学出版部、全101頁、1960年)
1959年
- 『史泉』第15号「石濱先生古稀記念特輯号」(関西大学史学会、1959年)
1958年
- 壺井義正編『關西大學泊園文庫藏書書目』、関西大学出版部、全280頁、1958年)
- 『石濱先生古稀記念東洋學論叢』(関西大学文学部東洋史研究室・石濱先生古稀記念会、全820頁、1958年11月)
- 「石濱純太郎先生年譜略」、「石濱純太郎先生著作目録」(上記所収)
1954年
- 石浜純太郎「チベット学者四方山話」(『関西大学新報』第46号、第4面、5月15日)
1951年
- 石濱純太郎「東洋文學科增設に際して」(『関西大学学報』第237号、関西大学学報局、1951年2月)
- 石濱純太郎「謹んで黄坡先生に告ぐるの文」(『関西大学学報』第238号、関西大学学報局、1951年4月)
- 長谷川雅樹『藤澤氏泊園四先生著書目略』(『泊園文庫彙報』1、関西大学東西学術研究所、全12頁、1951年)
- 石濱純太郎「泊園文庫について」(『関西大学学報』第242号、関西大学学報局、1951年9月)
1950年
- 石濱純太郎「竹城植野武雄先生」(『関西大学学報』第233号、1950年)
1945年以前
- 藤澤南岳編『菁莪録』(藤澤元、「菁莪録」全28葉、「菁莪餘録」全36葉、和装本、1913年)
- 石濱純太郎「南岳藤澤先生所著書目」(『斯文』第2編第4号、斯文会、1920年)
- 『泰梁餘哀』(泊園同窓会、全37頁、1922年4月)
- 石濱純太郎「南岳藤澤先生所著書目補」(『泊園書院學會々報』第2冊、泊園書院学会、1922年6月)
- 藤澤黄坡『藤澤南岳先生詩碑略解』(泊園同窓会、1922年)
- 藤澤黄坡『藤澤南岳先生勧善歌略解』(泊園書院、1923年)
- 石田誠太郎『大阪人物誌』(石田文庫、1927年)
- 藤澤東畡「榮觀録」(関儀一郎編『日本儒林叢書』第3冊所収、東洋図書刊行会、1929年)
- 藤澤東畡「思問録」(同上、第4冊所収)
- 石濱純太郎「菅甘谷先生 浪華儒林傳(2)」(『関西大学学報』第131号、1935年7月 のち石濱『浪華儒林伝』〔全国書房、1942年〕に「菅甘谷」として収む
- 石濱純太郎「藤澤東畡先生 浪華儒林伝(3)」(『関西大学学報』第132号、1935年9月 のち石濱『浪華儒林伝』〔全国書房、1942年〕に「藤澤東畡」として収む)
- 石濱純太郎「藤澤南岳先生 浪華儒林伝」(『関西大学学報』第133号、1935年10月 のち石濱『浪華儒林伝』〔全国書房、1942年〕に「藤澤東畡」として収む)
- 石濱純太郎「春田横塘 浪華儒林伝(7)」(『関西大学学報』第136号、1936年2月 のち石濱『浪華儒林伝』〔全国書房、1942年〕に「藤澤東畡」として収む)
- 藤澤章次郎「大阪の漢学」(『近世日本の儒学 徳川公継宗七十年祝賀記念』所収、岩波書店、1939年8月)
- 「藤澤東畡」「藤澤南岳」「藤澤黄鵠」「春田横塘」「稲垣秋荘」(『東區史』第5巻・人物篇、大阪市東区役所、1939年)
- 「泊園書院」(『東區史』第4巻・文化篇、大阪市東区役所、1941年)
- 石濱純太郎『浪華儒林伝』(全国書房、1942年)