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「ウクライナ・クラクフ訪問(2月16日~2月25日)」


 かつてレンベルクと呼ばれた東部ガリツィアの都市リヴィウLvivは、思想的伝統においても、歴史的事件においても、東欧ユダヤ人問題を考える上で非常に重要な場所と言える。20世紀におけるユダヤ思想や、国際連盟下の少数民族保護制度の成立にとって、レンべルクは決定的な役割を果たしたのである。

 16世紀、西ヨーロッパにおいて穀物価格が上昇したことに伴い、ポーランド人貴族は、ガリツィア地方において、輸出用作物の栽培のための領地経営に乗り出した。その際、農業労働力としては地元のウクライナ人(ルテニア人)が使われたのだが、領地経営の中間的管理(徴税請負など)や商工業の発展のために、西ヨーロッパにおいて迫害を受けていたユダヤ人が積極的に呼び込まれた。こうして形成されたユダヤ人住民は、支配層であるポーランド人からも、被支配層であるウクライナ人からも区別され、独自の自治組織を備えた民族集団を形成する。17世紀になって、西欧の農業生産力が回復するにつれて、穀物輸出を基盤としていたウクライナの経済的地位は下降する。ユダヤ人は、経済的に停滞するガリツィアの中で、支配層による過剰な農民搾取の実施を担うことによってウクライナ人の反感を買いつつも、みずからも重く課税されることによって窮乏化していくという境遇にあった。おそらくそのような八方ふさがりの状況のゆえに、彼等は伝統を重んじる閉鎖的な世界を形成し、18世紀以降ガリツィアを支配することとなったオーストリア帝国の同化政策に対しても動じることなく、民族の伝統と独自性を維持してゆく。

 同化の潮流の中にありつつも民族のアイデンティティを求める西欧のユダヤ知識人にとって、この同化を拒絶する東欧ユダヤ人の存在は、計り知れない意味をもつだろう。ショーレムをはじめとする20世紀のユダヤ思想家たちが、ガリツィアのユダヤ人の世界から大きな影響を受けたことは決して偶然ではない。しかし、その民族の独自性の維持は、第一次世界大戦末期、ハプスブルグ帝国の解体とともに急進化するナショナリズムの中で、独立を希求する諸民族によるユダヤ人への迫害を生む土壌となってゆく。

 1918年11月、レンベルクにおいて、独立を求めるウクライナ人と、新生ポーランド国家への編入を自明とみなすポーランド人との間に内戦が生じる。そこにおいて、ユダヤ人組織は苦渋の選択として中立を宣言するが、それは、結果として、いずれの側からも反感を買うこととなった。内戦はポーランド側の勝利となるが、その後、ユダヤ人の「裏切り」に対する報復としてポグロムが発生する。このポグロムの報道を一つの契機として、西欧や米国のユダヤ人組織が、東欧におけるユダヤ人保護の必要性を痛感し、国際的な人脈を用いて、東欧の戦後秩序の中に少数民族保護制度を組み入れることを求めたのである。

主幹 西 平等(関西大学法学部准教授)

 


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