『差異と共同-「マイノリティ」という視角』(関西大学出版部)の発行
「差異」と「共同」を並列的にならべるのには異議(異論)もあろう。ただ、本書のタイトルにこの両者を用いたのは、私たちの研究の「意義」を端的に訴えるためでもある。
「差異」――ここでは、「在りて在るもの」ではなく、「在りとされるもの」であり、それ自体固定的ではない動的なもの、そして人々を分け隔てると同時に結びつけるものでもある関係性の名称として用いたい。この差異という観念を背負わされるものとして「マイノリティ」を考える。かかるマイノリティ相互およびそれぞれの内部にも、もちろん差異は存在する。多様な差異の自己目的化の危険性とその「結末」は明らかである。また、ここでいう差異は、共同体を育むための規範、価値、そしてその秩序に一致しないものとされてきた「差異」とは必ずしも一致しない。
「共同」――多様な差異が多様なままで編み上げられていく共同・共同体の在り方を考えてみたい。この営為は、国民統合の理念の再構築、グローバル社会における「国家」の相対化などを含むがその地平にとどまるものではない。相互に矛盾する異質な原理の共存から共同へ、すなわち多様なロジックの共存から共同への営みとして理解されるのではないだろうか。
この「差異と共同」という二つの言葉は、ともに一定の価値判断を内包する。この背後に見え隠れしているのは、「普遍性」という概念である。私たちのマイノリティ研究には、「普遍性を問う」という問題意識が共有されているともいえよう。