BOUNDARY12号 写真の一言
[写真提供:西平等氏(関西大学法学部准教授)]
アウシュヴィッツについて、誰がどのように説明できるだろうか? ひとりの収容経験者は、この場所に到着した時の印象を次のように描写している。「アウシュヴィッツは、一つの概念だった。すなわち、はっきりとわからないけれども、しかしそれだけに一層恐ろしいガスかまど、火葬場、集団殺害などの観念の総体なのだった!…幾重もの限りない鉄条網の垣、見張塔、探照燈、それに暁の灰色の中を、灰色に、ノロノロと疲れてよろめきながら、荒れはてた真直な収容所の道を行くぼろをまとった人間の長い列─誰もどこに行くのか知らないのだ。そして短い号令の笛があちこちできこえる─誰も何のためだか知らないのだ」(V.Eフランクル(霜山徳爾訳)『夜と霧』みすず書房)。彼らが、何のために、どこへ行ったのかを、私たちは果たして知っているのだろうか。
西 平等(関西大学法学部准教授)