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研究員の研究活動II
「国家形成とマイノリティ」研究班 
英国(ケンブリッジ大学)出張 2009年7月31日―8月1日

主幹   安武 真隆(関西大学政策創造学部教授)
研究員 蔡 孟翰(千葉大学大学院特任教授)

今回参加したワークショップ(7月31日―8月1日)は、スキナーもダンも引退した後の、ケンブリッジの政治思想史研究者の中でも今一番油が乗っているイシュトファン・ホント氏(日本でも『貿易の嫉妬―国際競争と国民国家の歴史的展望』の翻訳が昭和堂から出版されたばかり)が主催したもの。ホント氏が今回(前回は昨年12月)集めた若手研究者、および年配の研究者の顔ぶれを見ると、氏自身がハンガリー出身の亡命知識人であることもあってか、ポーランド在住のオランダの大学教授、ハンガリー出身でハーバードで学位を取った若手研究者、スロヴェニアの研究者、ロシア系アメリカ人の研究者、スイス在住の研究者など、ヨーロッパ&アメリカの生きの良いケンブリッジに縁のある研究者を集めたプロジェクトとの印象を抱かせるに充分な多彩な人材が集まった。テーマも18世紀末から19世紀における商業と恒久平和をめぐる言説の検討を通じて、ヨーロッパにおける国家形成や国家間関係 のあり方、さらには植民地争奪戦を考察する、というもので、一国史に偏重し政治と経済の分離が甚だしく、初期近代重視だった、従来のケンブリッジの政治思想史研究のあり方を一変して、新しい「ケンブリッジ学派」を生みだそう、という野心的な試みであった。それは、ホント氏の『貿易の嫉妬』の問題意識を後の時代にも展開して行こうとするものでもあった。我が「国家形成とマイノリティ」研究班にとっても大いに参考になる論点が数多く扱われた。

ちなみに、かつてのケンブリッジ政治思想史研究を牽引したスキナーは、政治思想研究の意義を「我々の文化の理解」と語っていたが、その際の「我々」が、古典古代からイングランドへと収斂していくイングランドあるいはヨーロッパ中心史観を前提とするものであったのに対し、ダンはロック研究以降は本格的な政治思想史研究から手を引き、近現代の第三世界やアジアにまで射程を広げた政治理論を構想する方向に舵を切り、その教え子も狭くヨーロッパに限られず、台湾や日本の若手研究者も広く受け入れる「コスモポリタン」なところがあった。また、韓国の元大統領金大中氏が80年代のある時期にケンブリッジに客員フェローとして訪れた時は彼が氏のホストになった。ホント氏は両者の中間に位置し、日本から招聘されたのは私とCMS研究員でもある蔡氏の二人のみ。本当は日本の若手政治思想史研究者もこのようなワークショップに絡めるようになると良いのだろうが、ケンブリッジは結構コネ社会(中世の大学のシステムを良い意味でも悪い意味でも温存している)なので、なかなか敷居が高い。

写真説明:
ワークショップが実施されたキングスカレッジは、ヘンリー6世によって1441年に設立された。当カレッジはオックスフォードのニュー・カレッジや名門高校のイートン校と姉妹校でもあり、20世紀までこのイートン校出身の学生しか受け入れなかった。また20世紀になると人文・社会科学の分野の人材を数多く輩出した。例えば経済学者のジョン・メイナード・ケインズや、小説家で「インドへの道」などで知られるE. M. フォスター、「第3の道」を唱えたアンソニー・ギデンス、民族とナショナリズムの研究で知られるアーネスト・ゲルナー、政治思想史研究・政治理論としてのケンブリッジ・スクールの創設者の一人であるジョン・ダン、など。写真の中の左の建物になるチャペルは、ヘンリー6世からヘンリー8世によって100年間に渡って建てられた、ヨーロッパの建築史の中で最もよく知られているチャペルの一つ。右の白い建物はイギリスの18世紀の代表的な建築家、ジェームス・ギブスによって建てられたFellows’ Buildingで、この建物にはキングスカレッジのフェロー達の研究室があり、その研究室内で少人数(伝統的に1~5人くらい)の学生だけの授業が行われてきた。

 


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