フーリエ解析やウェーブレット解析をはじめとして、信号処理の理論は、線形な世界で構築されたものが主流を占めてきました。線形な世界とは、足し算が自由にできる世界、すなわち、1たす1が必ず2になる世界です。足し算が自由にできるならば、扱う数には上限も下限もないはずで、100までの数しか扱わないから99+99は計算できない、などということは、線形な世界ではありえないことです。
しかし、このような線形な世界は、われわれの持つ自然界の描像として正しいものでしょうか?われわれが自然界から情報を得るには、センサが必要です。たとえば、画像情報を得るにはカメラが必要です。どんなカメラを使っても、ある強さよりも弱い光は真黒に、ある強さよりも強い光は真白にしか写りません。つまり、得られた画像情報は、上限や下限をもつ有界なものです。これに限らず、われわれが現実に扱う対象は、つねに線形な世界とは異なる「非線形で有界な世界」にあります。
このような「有界な世界」を表す数学的構造が、順序集合の一種である「完備束」です。完備束とは、「どの部分集合に対しても、必ず上限・下限が存在する集合」です。そして、本書で解説するマセマティカル・モルフォロジは、完備束での上限・下限演算を基盤として構成された、非線形演算の体系です。
本書では、最初にディジタル信号・画像処理について概説した後、メジアンフィルタやニューラルネットワークをはじめとする、信号・画像処理における「有界な非線形演算」について説明します。これをふまえて、画像解析におけるマセマティカル・モルフォロジの理論を解説し、上記で触れた図形の定量的扱いや画像フィルタとの関係について説明します。そして、医用画像処理・バイオイメージング・感性情報科学などの応用分野で、マセマティカル・モルフォロジがどのように用いられているかを紹介します。さらに、2次元の画像の世界を飛び出して、3次元の画像として取り扱える動画像処理への応用を紹介し、さらには画像の世界そのものを飛び出して、完備束上での演算という性質を生かした、論理解析や計算知能の分野での応用を紹介します。
「マセマティカル・モルフォロジ」あるいは「モルフォロジ」という言葉は、画像処理に携わっている方ならよく聞くものだと思います。しかし、「なんか、図形を膨らませたり縮めたりするやつでしょう?」というふうにしか知られていないことも多いようです。この本は、マセマティカル・モルフォロジについて、その思想から数学的基盤、そして画像処理に限らないさまざまな応用にいたるまでを、数学・画像科学から生物学・感性科学にわたる各分野の6人の研究者によって解説した本です。