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サーキットで「ニーチェの言葉」
			モトクロス女子を支える「親子3人旅」
			後教育後援会 会報編集部

会報『葦』夏号(第170号)で紹介した総合情報学部2年次生の久保まなさん。昨年の全国ランキング2位というプロの女子モトクロス選手ですが、レースの合間に『ニーチェの言葉』などを読む読書家です。10月には全国紙で1頁をさき、読書週間にちなみ芝井敬司学長との対談広告が掲載されました。その選手生活を支える両親の「裏方さん」ぶりも半端ではありません。全国9カ所のレース場を行脚するのも含め、マイカーで年間地球一周分を走る過酷な「親子3人旅」や子育て論を親子に話してもらいました。

全国紙に一頁広告として掲載された芝井学長との読書対談

夫婦のマイカー、1年4万㎞

モトクロスは、公道ではなく起伏にとんだ丘陵などを縫うように走る、未舗装の周回コースを競技専用バイクで順位を競うスポーツです。数十mもジャンプすることもあり、男子では時速100㎞を超えるスピードで競います。最近は女子選手にもファンが増え、年間9回の全日本選手権が北は岩手、南は熊本までで開かれ、久保さんはすべてに出場しています。
久保さん一家は個人で設備業を営む父信一郎さんと母幸子さん、一人娘のまなさんの3人家族です。ここ数年家族が一丸となって全国を走り回ったことを示す数字があります。マイカーの走行距離です。

  • 今年3月に買った車 8カ月間 3万4千㎞
  • その前の車 2年間 9万8千㎞
  • その前の車 4年間 14万㎞

日本のタクシーは年間7万㎞を走るそうですから、職業とは無関係に、娘の競技のためにこれだけ走るのは、かなりの重労働です。例えば全日本選手権。土曜に予選、日曜に決勝なので、岩手県での大会の場合、信一郎さんの仕事が終わる金曜の夜、家族3人がミニバンに乗り込み、練習用と本番用のバイク計2台を後部に積み込んで京都の自宅を出発します。
夫婦で交代しながら運転し、翌朝現地に着き早速、予選に出場します。通過できれば翌日曜に決勝レース。終わって後片付けをして夕方、岩手から出発。京都に着くのは月曜の午前4時頃。少しだけ仮眠をとって信一郎さんは仕事場へ、まなさんは関大へ。これを年間9回こなします。加えて普段の練習もおろそかにできません。モトクロス競技はエンジン音がすごいので、練習場は山の中です。大阪の場合、練習場「ライダーパーク生駒」は大東市内の山間部にあり、久保さんの自宅から1時間あまり。これも両親のどちらかがマイカーでまなさんを送り迎えし、年間150回近くこなすといいます。

親子3人旅を続ける久保さん一家

補助輪はずしたらバイクの誕生祝

信一郎さんと幸子さんはもともとオートバイが好きでした。若いときは二人でツーリングし、北海道にも出かけたほどです。ただ信一郎さんは、どちらかというと道路での運転は怖く、オフロードを楽しむタイプでした。大東市の「ライダーパーク生駒」で走ってみて楽しいことがわかり、結婚後、娘のまなさんを抱っこしながら、何度も遊びに寄り、まなさんはそういう風に自然にバイクの世界に慣れていったそうです。
夫婦で初めて買い与えたバイクは、ホンダQRで白と赤の2色に塗られたものでした。4歳の誕生祝です。実は信一郎さんが誕生日の直前、当時まなさんが乗っていた子ども用自転車について冗談で「補助輪をはずせたらバイクを買ってあげる」と言ったそうです。そうしたらまなさんが本気で練習し、その日のうちに補助輪をはずしても運転できるようになりました。
小学校1年生のとき初めてレースに出場し1位になりました。50㏄クラスで20人くらいが出場した中の「総合1位」でした。この経験から、以後「どうせレースに出るなら1位をめざそう」という意識が親子に芽生えたそうです。そのために小学校時代から週2回、ライダーパークに通う常連になりました。塾や習い事とは無縁でした。

中3で「まさかの2位」

なぜそこまでやるのか。信一郎さんは「親バカですけど」と前置きしてこう話します。
娘の活躍する姿を見るのは楽しいです。人生、楽しませてもらっている、という感じです。生まれつき2輪車に乗るセンスがいいのかもしれません。子ども用自転車の補助輪をはずしたときもそうですし、アドバイスしたらすぐその通りにできてしまうのです。例えばコーナリングの場合、
〝フロントブレーキをかけながらサスペンションを縮ませて〟と一言言えば、さっさとその通りにやってしまうところが、すごいと思います。
小学校6年生のとき、初めて全国大会に出場し、レディスクラスの65㏄を予選8位で通過し、決勝では20位でした。以来、中学・高校でも全日本に出場し続け、好成績を収めます。例えば中学3年生時、全日本選手権で「まさかの2位」となり、親子でびっくりしました。

久保さんの愛車

内弁慶はまずいぞ

信一郎さんたちは普段の暮らしの中で、まなさんをどんな風に育てたのでしょうか。
一人娘なので「内弁慶」になってはまずいなと思い、できるだけ他の子どもたちの集団に意識的に参加させて一緒に遊ぶように仕向けました。ライダーパークに連れて行くと、私の練習の間は、まなが他の大人たちとだべったり、中学生くらいになるとごく自然に世間話をしていました。
この経験が今につながっています。モトクロス競技は結構、お金がかかります。信一郎さん夫妻は決して裕福ではありませんから、スポンサーも必要です。マイナースポーツですから、企業からの潤沢な資金は期待できません。そこでヘルメットやバイク販売店、部品メーカーなどの「小口資金」が頼りとなります。そのほとんどは両親ではなく、まなさん自身が掛け合って提供してもらったケースだそうです。少女時代の大人たちとの会話が、「交渉力」につながったといえそうです。まなさんはプレゼンの方法も自分で考えて大手企業にももちかけ始めました。最近1社で失敗したそうですが、めげずに挑戦し続けるといいます。

読書はサーキットで

そして「読書力」。もともと幼女時代には信一郎さんが絵本の読み聞かせをしていました。『笠地蔵』や五味太郎さんの『まどから おくりもの』の文章を全部覚えて、暗唱していたそうです。今でも頭の中に絵が浮かぶといいますから、「三つ子の魂…」です。
芝井学長との対談で学長をびっくりさせたことが二つあります。まず「歩き読書」。まさか久保さんの世代は無縁だろうと学長が念のために尋ねたところ、「まさか」でした。「私、校内のエスカレータでも本を開いています」。次はお気に入りの読書スペース。学長は「やっぱり寝床の中かなあ」とつぶやきましたが、久保さんは「私はサーキット。レースの直前や練習の合間に読むとなぜか頭に入りやすいんです。アドレナリンが出ているせいかもしれません」。いま読みたい本はヴィクトール・フランクルの『夜と霧』、沢木耕太郎の『敗れざる者たち』だそうです。

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