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飛鳥史学文学講座─やまと・あすか・まほろば塾─ルポ
飛鳥と古代東アジア─周縁から見た東アジア世界─
教育後援会 会報編集部

関西大学文学部長 藤田髙夫教授は9月13日、飛鳥史学文学講座で「飛鳥と古代東アジア─周縁から見た東アジア世界─」と題して講演しました。当日は好天に恵まれ、近畿各地から訪れた約200人の聴衆が教授の古代東アジアへの想いに耳を傾けました。
講演はまず「東アジア史」とはいったい何か、という根本的な視点から始まりました。戦後の「東アジア論」をいくつか紹介しながら、それぞれの時代を論じる際に登場する「時期区分」は、「あくまでも日本列島での歴史的展開を東アジア世界の状況と結びつけて説明しようとするもので、『東アジア史』を想定したうえで、そこに日本史を位置づけようとしたものではない」とし、いまの学問の世界では、「歴史的世界としての『東アジア史』はまだ明確な姿を現していない」と述べました。
そして「ヤマト政権以前の日本と東アジア」など5項目について説明しました。「ヤマト政権以前…」では、魏から「親魏倭王」の称号と金印紫綬を授与された卑弥呼について、「『共立』された女王で、倭国は邪馬台国をそのひとつとして含む諸勢力の連合体を超えるものではなかった」と位置づけました。
次の「空白の四世紀」では、まず魏に取って代わった西晋の成立後、中国の正史からしばらく倭国に関する叙述が消える一方で、朝鮮半島と倭国との複雑な関係について注目。天理市の石上神宮にある「七支刀」の銘文などから、「百済と倭国が連携して、高句麗と新羅に対抗したことが読み取れる」とし、当時のヤマト政権にとって、各豪族を統率するためには半島南部の加耶諸国からの先進文物や鉄資源の確保が必要だった、と述べました。つまりこうした朝鮮半島への政治的・軍事的介入が王権の維持に不可欠で、同時にそれがヤマト政権をして東アジアの有力な王権として登場させた、と言うわけです。
さらに5世紀から6世紀にかけてのヤマト政権、朝鮮半島、中国などの状況を説明したあと、近年、飛鳥で多くの木簡が発見され、中国や朝鮮半島との関係が解明されつつあることを報告しました。

昭和50年4月に始まった飛鳥史学文学講座は、故網干善教名誉教授と関大生らによる高松塚古墳の壁画発見が契機となりました。「飛鳥史学文学講座」は昭和61年に創設され、講座記録を『講座 飛鳥を考える』(1~3巻)、『講座 飛鳥の歴史と文学』(1~4巻)として刊行しました。講座は現在年間10回開催。関西大学文学部の教授らを中心とした講師陣の講演に、毎回全国から200人前後の受講生が参加します。会場は明日香村の中央公民館なので、受講の前後近くの高松塚古墳やキトラ古墳などを見学する人が多いようです。教室にハイキング姿の市民が目立つ所以です。夫婦連れで9月の藤田教授の講演を聴いた大阪市内の主婦(63)も常連の一人。「特に春と秋は散策にぴったりの季節で、毎回、古代史のロマンを感じながらそぞろ歩きできる魅力があります」と話していました。

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