コラム

第16回 2014/6/23

「読み物」としての名所図会

関西大学ポスト・ドクトラル・フェロー
 中尾 和昇

大きさの比較(左:新書 右:名所図会)

 大きさの比較(左:新書 右:名所図会)

 今年3月、『大阪都市遺産研究叢書別集5 名所図会でめぐる大阪―摂津Ⅰ―』を刊行した。本書は『摂津名所図会』の記事を換骨脱胎し、「祭礼・法会」「信仰」「民俗行事」「興行」「商業」「産物」「名勝」の七種に分類したもので、そのねらいは、名所図会を単なるガイドブックとしてではなく、ひとつの文化遺産目録として捉え直すことにある。

 名所図会の書型は大本(おおほん)。縦が26㎝、横が18㎝というサイズで、文字通り大判の書型である。江戸中期以降、名所案内記類は横本(縦12㎝、横17㎝)や小本(縦17㎝、横12㎝)といった、小ぶりなものが広く流通していた(山近博義「近世名所案内記類の特性に関する覚書」『地理学報』34、1999年)だけに、おのずと携帯に便利な実用書という範疇から外れることになる。しかし、これは、名所図会が持つ「読み物」という特性から考えれば至極当然なことであり、他の名所案内記類には見られない豊富な情報を有するからにほかならない。

浮瀬の奇杯

 浮瀬の奇杯

  『摂津名所図会』の記事を概観すると、著者・秋里籬島の綿密な考証に、まず驚かされる。例えば、寺社の由緒・縁起などを記す際には、『延喜式』『日本書紀』『三代実録』などを、武士の逸話を記すにあたっては、『東鑑』『平家物語』『太平記』などをこまめに参看している。しかし、それ以上に興味深いのは、文献からはうかがえない、籬島自身の現地取材に基づく考証であろう。例えば、巻之二[浮瀬]では、名物の「貝盃」について絵入りで詳しく記しつつ、座敷に掛けられたと思しき芭蕉の軸(「松風の軒をめぐりて秋くれぬ」)を紹介することも忘れない。他にも、墓碑や扁額、鰐口に至るまで、その銘文を克明に記している。一方で、土地の証言を疑う姿勢も見せる。これについても一例を示しておこう。巻之五に立項された[虎宮火]では、雨が降る夜に現れる「火魂」について考証しているが、籬島によれば、これは地中に溜まった熱気が「陰火」となって発生したもので、恐れるに足らないという。

  このように見ていくと、名所図会という書物は、数ある名所を机上において疑似体験・追体験するための「読み物」と言うことができる。確かに、江戸の大田南畝は銅座の役人として大坂へ下る際、『摂津名所図会』を携帯してきた(『蘆の若葉』)が、実際に名所を巡り歩く際には持ち歩かず、あくまで予習・復習するために使用したと思われる。  

  ちなみに、記事ごとに歌や句を載せているのだが、「湘夕」「斑竹」(いずれも籬島の別号)の名を冠した歌や句をさりげなく入れるあたりに、籬島の遊び心も感じられる。

 

  

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