可視化プロジェクト

大阪水都の景観変遷


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(制作協力:水田憲志氏・石坂澄子氏)

 江戸時代の大坂は、「浪華の八百八橋」といわれ、大小の河川や堀川が、物資を運ぶ動脈として、「水都大阪」の人びとの暮らしを支えるとともに、天神祭の船渡御や道頓堀の歌舞伎役者の船乗り込みのように、祭礼や文化も「水都大阪」の景観を彩ってきました。しかし、明治時代以降、都市大阪の近代化にともない、交通手段が、船舶から鉄道・市電・自動車へと変わり、人びとの暮らしや祭礼、伝統文化をはじめとして「水都大阪」の景観は大きく変化しました。


 センターでは、都市大阪の景観変遷の検証の一環として、地形図をもとに「水都大阪」の変遷を可視化する作業を進めています。

右図のIndex Mapをクリックしてください。画面に大きなIndex Mapが表示されますのでの赤枠の部分をクリックしてください。選択された地域をご覧いただけます。

※現在の地図は、国土地理院の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)を複製したものです。(承認番号 平24情複、 第318号)
※1880~1960年代の地図の作成に当たっては、国土地理院の承認を得て、同院発行の2万5千分の1地形図及び2万分の1仮製図を使用しています。(承認番号 平24情使、 第317号)

[引用した地図]
・2万分の1仮製地形図「大阪」(1885(明治18)年測量1887(明治20)年製版)
・2万分の1仮製地形図「尼崎」(1885(明治18)年測量1887(明治20)年製版)
・2万分の1仮製地形図「天保山」(1885(明治18)年測量1887(明治20)年製版)
・2万分の1仮製地形図「天王寺村」(1886(明治19)年測量1887(明治20)年製版)
・25000分の1地形図「大阪東北部」(1924(大正13)年測図1927(昭和2)年印刷発行)
・25000分の1地形図「大阪西北部」(1932(昭和7)年部分修正測図,1934(昭和9)年印刷発行)
・25000分の1地形図「大阪東南部」(1932(昭和7)年部分修正測図,1934(昭和9)年印刷発行)
・25000分の1地形図「大阪西南部」(1932(昭和7)年部分修正測図,1934(昭和9)年印刷発行)
・25000分の1地形図「大阪東北部」(1967(昭和42)年改測1969(昭和44)年発行)
・25000分の1地形図「大阪西北部」(1967(昭和42)年改測1969(昭和44)年発行)
・25000分の1地形図「大阪東南部」(1967(昭和42)年改測1969(昭和44)年発行)
・25000分の1地形図「大阪西南部」(1967(昭和42)年改測1969(昭和44)年発行)

今回作成した地図はあくまでも暫定的なものであり、1880年代の地図については他の年代に比べて省略した部分が多くあります。また、各年代の地図は縮尺を揃え、図郭ができるだけ一致するようにしましたが、図法が異なるため現時点では完全には一致しません。今後、データを追加してより詳細な情報を地図化するとともに、図法の違いによるゆがみを除去していく予定です。

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