関西大学のあゆみ

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児島惟謙

天保8年(1837)2月1日、愛媛県に生れる。
幼名は雅次郎、のち五郎兵衛、謙蔵とも称した。号は天赦園、字は有終。
 慶応元年、長崎に学び、坂本竜馬や五代友厚ら諸国の志士と交わる。慶応3年に脱藩して上京し、勤王運動に従い、このころから児島惟謙と称する。
 明治2年、仕官して新潟・品川県を経て、明治4年12月、司法省に入り、大阪・福島上等裁判所、長崎控訴裁判所長を経て、明治16年に大阪控訴裁判所長となり、本校創立のことにあずかる。
 明治24年、大審院長となるや大津事件が起こり、その裁判にあたって司法権の独立を護る。明治25年、法官弄花事件の責任をとって官を辞する。
 その後、貴族院勅撰議員、衆議院議員、第二十銀行頭取などに任じたが、明治41年(1908)7月1日没した。71歳

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