【公募研究班】甘樫丘遺跡群の変遷と土地利用に関する研究-発掘調査の成果を中心に-
研究代表者 | 井上 主税 文学部・教授 |
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研究概要 | 本研究の目的は、甘樫丘遺跡群を対象とし、発掘調査を通じて得られた資料や、『日本書紀』などの文献史料にみられる記録などをもとに、本遺跡の性格や歴史的な意義について考察することにある。飛鳥時代の邸宅の様子を知りうる資料は少ないため、この遺跡の解明はその手がかりとなり得るものと期待される。また、甘樫丘の南東に位置する島庄(石舞台古墳周辺)には蘇我馬子の邸宅があったと推定され、島庄遺跡がその有力候補とみられている。この島庄遺跡の発掘調査成果とも比較検討を行なう。これにより、甘樫丘遺跡群の性格をより明確にすることができるものと考える。 |
研究分担者 |
西本 昌弘 文学部・教授 長谷川 透 明日香村教育委員会・係長 |
研究期間 | 2023年度~2024年度(2年間) |
研究成果概要
2か年にわたり発掘調査を実施したが、2023(令和5)年度は、2022(令和4)年度調査区に南接する畑地で調査を実施した。調査区を2箇所設定し、1区では柱穴、石群、土坑、素掘溝を、2区では柱穴、石列、小穴、素掘溝を検出した。石群は石を人為的に積み上げたものではなく、溝に投棄されたような状況であり、共伴土器から飛鳥時代後半から奈良時代前半頃に位置付けられる。2区の東壁付近では、令和4年度に検出した北側石列の延長とみられる石列を確認した。この北側石列は、さらに西側にも延長することが予想された。さらに、令和4年度で検出した総柱建物が西側に展開しないことも明らかとなり、総柱建物は南北3間、東西2間であることが確定した。2024(令和6)年度は、令和4年度調査区の西側に広がる畑地で発掘調査を実施した。調査区では、掘立て柱建物2棟、掘立柱塀1条、柱穴、大型方形土坑(井戸か)1基、焼成遺構1基、土坑(木棺墓)1基を検出した。出土遺物と遺構の重複関係から、遺構の変遷は①飛鳥時代前半~中頃の焼成遺構、②飛鳥時代後半頃の掘立柱建物・掘立柱塀・大型方形土坑、③飛鳥時代末頃の掘立柱建物、④時期不詳の土坑(木棺墓か)となる。大型方形土坑は地山を掘り込んだ井戸とみられ、埋土から木簡や削り屑、木製品が出土した。
2か年にわたる調査の成果として、甘樫丘遺跡群の変遷と土地利用に関して以下の点が明らかになった。
甘樫丘東麓の小さな谷部において、飛鳥時代前半頃から奈良時代前半頃まで活発な土地利用がおこなわれていた。有力豪族の蘇我氏が活躍した飛鳥時代前半頃以前から谷の造成がはじまり、飛鳥時代後半頃から掘立柱建物や掘立柱塀、井戸などの公的な施設に建て替えられるなど、飛鳥時代全般を通じて土地利用の変遷と実態を明らかにできた。
なお、発掘調査は分担者の長谷川が担当し、代表者と分担者の西本は現地調査を視察し、意見交換を行った。また、なにわ大阪研究センター2023年度および2024年度の研究成果報告会において調査成果を口頭発表し、『なにわ大阪研究』第6号・第7号で報告文を掲載した。