研究活動

【公募研究班】「大大阪」の時代と関西大学-山岡家文書の調査・研究を中心に-

研究代表者 官田 光史 文学部・准教授
研究概要

 本研究の目的は、山岡家文書(山岡順太郎・倭の旧蔵資料)の調査・研究によって、関西大学関係者の活動という視点から、「大大阪」時代の政治や社会のあり方に光を当てることである。とくに山岡が本学の総理事や学長などとして本学の経営・教育に携わった1920年代の資料を重点的に調査・研究することで、山岡をはじめとする本学関係者が「大大阪」の形成と発展に貢献した姿を描き出すことを目的とする。

 また、本研究の特色は、山岡家文書という質・量ともに充実した資料を初めて本格的に研究することにあり、そのポイントは①山岡家文書の調査・研究、②「大大阪」を支えた大阪市役所・大阪市会の校友の調査・研究、③「大大阪」のツーリズム研究の3点である。

 これらの研究の集大成として、最終年度には講演会を開催するとともに、山岡家文書に係る講演資料を作成する。講演会については、1920年代の東京など、他の都市と大阪の比較も視野に入れて企画する。山岡家文書の目録は、新出資料の基礎データとして、大阪・関西の地域史研究はもちろん、日本近現代史研究に大きなインパクトを与えると期待している。

(2022年度)
①仮目録の作成とともに重要資料の翻刻を進め、山岡を中心とする政官財界のネットワークの広がりを解明する。
②山岡家文書、さらには大阪市史編纂所所蔵の地域資料、大阪市公文書館所蔵の公文書のなかから大阪市役所・大阪市会の校友に関係する資料を収集する。それらの資料と『大大阪』などの雑誌・新聞の記事を合わせて検討を加える。
③山岡倭の旧蔵資料のなかの観光パンフレットを分析する。

(2023年度)
研究成果に基づいて講演会を開催するとともに、山岡家文書に係る講演資料を作成する。

研究分担者

米田 文孝 文学部・教授

伊藤 信明 博物館・学芸員

研究期間 2022年度~2023年度(2年間)

研究成果概要

 本研究の目的は、本学年史編纂室が山岡家から借用している山岡家文書(山岡順太郎・倭の旧蔵資料)の調査・研究によって、関西大学関係者の活動という視点から、「大大阪」時代の政治や社会のあり方に光を当てることである。山岡順太郎(1866~1928年)は石川県出身の実業家で、大阪商業会議所会頭を務めたころから本学との関わりをもち、1922(大正11)年には総理事となって本学の大学昇格を成し遂げた。山岡倭(1890~1939年)は順太郎の長男で、北陽商業学校(現・関西大学北陽高等学校)の設立者として知られる企業家である。
 期間全体の成果としては、分担者が中心となって進めてきた山岡家文書の整理におおよその目途が立ったことが挙げられる。また、本研究では、山岡家文書の特徴的な資料の抽出と分析も行った。具体的には、逓信官僚時代の山岡順太郎が記した日記、山岡が社長を務め、千里山住宅地を開発した大阪住宅経営の書類、山岡の同郷の先輩で大阪選出の衆議院議員であった中橋徳五郎からの書簡、山岡倭の旧蔵資料のなかの大阪商船・大鉄電車の観光パンフレットなどである。この分析により、実業家・教育者としての山岡が「大大阪」の政治・経済・社会・文化の結節点に位置していたことを確認できた。
 これらの成果の一部については、当研究班の研究成果報告会(2023年12月9日、於・なにわ大阪研究センター1階セミナー室)にて、官田が「1912年の大阪市電路線変更問題」、佐藤健太郎(研究協力者)が「山岡順太郎と千里山住宅地」、徳田誠志(同)が「大大阪時代の陵墓参拝について」と題して、それぞれ発表を行った。また、この報告会には大正大学の松本洋幸氏をお招きし、1920年代から30年代の政治史・都市史研究の視点からコメントをいただいた。さらに、なにわ大阪研究センター2023年度研究成果報告会(2024年3月23日、於・千里山キャンパス第2学舎1号館)においては、伊藤が「山岡家文書の整理と概要について」と題して発表を行った。
 今後は山岡家文書の目録の完成により、山岡家文書内の諸資料はもちろん、学内外で所蔵される同時代の諸資料と山岡家文書をリンクした研究の展開が期待される。

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