大学執行部リレーコラム

異なる景色

2024.04.18

 2021年9月に筆を置いたままになっている、アメリカでの現地調査の続編が、私にとって最後のコラムとなります。コロナ禍で一度も首都に足を踏み入れることなく過ぎた4年間に、アメリカでは大統領選挙のサイクルが一回りしました。4年前と同じ組み合わせの今回の大統領選挙は、国外ではロシアやイスラエルによる軍事行為が続く中、また国内では候補の一人の刑事裁判が進む中で展開しています。
 前回のコラムでは、初の女性大統領と初のアフリカ系大統領のいずれを選択するのか、という民主党支持者の葛藤に触れました。いずれの選択でもアメリカは新しい段階へと進む、という高揚感に満ちた民主党予備選挙に比べ、共和党予備選挙は当初から盛り上がりに欠けていました。ところが、オバマ大統領という変化の象徴が生まれると、共和党の中から別の意味での盛り上がりが生じました。それが、イギリスによる植民地支配に抵抗し、アメリカ独立の契機となったボストン茶会事件に倣った「ティーパーティー」と称する運動で、あるべきアメリカの姿を掲げて多文化なアメリカと対峙したのです。
 アメリカのあるべき姿をめぐり民主党の結束が乱れたことも、8年前にトランプ大統領が生まれる背景要因となりました。高校卒業で就職し、労働組合のもとで仕事を守られてきた白人男性労働者は、高等教育を受け、グローバル化を推し進めるリベラル層との間に溝を感じ、その象徴であるヒラリーではなく、馴染みのあるアメリカ像を説くトランプに引き寄せられました。
 「多様性の中の統一」がモットーであるアメリカを研究対象としてきた私にとって、こうしたアメリカの逆行は衝撃的なものでした。自らと異なるものの尊厳を認め合うことで、アメリカは多様でありながらも個々人が守られる社会を築いてきたはずでした。ところが、多様性が進むことによって、自らの権利が損なわれるというゼロサムの思考が広がり、あろうことに大統領がその思考を率先している―このアメリカがポジティブサムの思考へと戻ることが果たして可能なのだろうか、と。
 その答えを模索する過程は、私自身がアメリカを一つの視点からしか見ていなかったことに気づく、自分探しのようなものでした。多様な社会の中で、同じ現象を相手の立場から見たときに、そこには異なる像が描かれていて当然のはずです。それなのに、反対側から描かれた像が何であるかを知ろうとする想像力を欠くことで、「正しい自分」と「誤った他者」の間の溝は、ますます広く、深くなってしまうのでした。
 これは、遠いアメリカという国の理解に限ったことではなく、私たちの日常の中でも同じことが起こっています。私の国際政治学の授業は、そうした自戒の念を込めて、異なる立場から見た国際社会の景色の話から始めています。関西大学の景色も、キャンパスや学舎、学部ごとに異なる像が描かれていて当然でしょう。そうした違いを、相手の立場に立って理解することが、果たしてどこまでできたのだろうか。4年間の自分を振り返っているこの頃です。 

副学長 大津留(北川)智恵子