センターNOW!

第3回 2011/6/1

春のおどり

 大阪都市遺産研究センターでは、サブテーマAとして「「水都」大阪の伝統文化とくらし」を掲げ、主に道頓堀界隈の調査をすすめています。その一環として去る4月7日、道頓堀松竹座に「OSK日本歌劇団 春のおどり」を見てきました。春のおどりは1926年(大正15)4月、松竹座開場3周年記念として誕生しました。当時の関西の名物となっていた芸妓たちの踊りの発表会である「芦辺踊り」や「都踊り」などをモデルにしたものです。

おどりもフィナーレをむかえたとき、名物の「傘回し」とともに歌劇団のテーマソング「桜咲く国」が流れました。「桜咲く国」の作詞は川柳作家・岸本水府です。『道頓堀の雨に別れて以来なり―川柳作家・岸本水府とその時代』(1998年)で、岸本水府の生涯にせまった田辺聖子氏は、この本の中で大阪のことを次のように表現しています。

  近松も西鶴もこのまちのなかに溶けこんで、艶冶(えんや)な文学的気体の温(うん)気(き)が町を包んでいるのである。(中略)

   新しいものも古いものも、よきものも悪しきものも、すべて飲みこんで澱んだ文化が醗酵して、それが芳醇な甘美になるか、饐(す)えて鼻持ちならぬものになるかの、すれすれのところにいつも浪花情緒は引っかかっている。

ところで、女流川柳作家である河盛葭乃(のち同じく川柳作家である麻生路郎と結婚して麻生姓となる)は、岸本水府が主宰する川柳雑誌『番傘』の中で、「みなみ」と題する文章を記しています。(『番傘』5号、1914年(大正3))

   忙しい〳〵と口癖のやうに云ふてゐながら、毎晩のやうに出掛けて行くのは道頓堀である。と云つても別に役者にヒイキがあるのでもなく、出雲屋の匂ひが殊更に好きだからと云ふのでもない。とにかくあの辺をブラ〳〵お練りのやうに行きかへりすることが好きである。

   バーの白壁に高くかゝつてる赤銅のランターンや、前茶屋の板敷の大火鉢や、それを囲んだ舞妓の美しい、白い襟足や、黒ずんだ道頓堀川にうつるやはらかい灯の色などを見てゐると帰ることがいやになる。もし私が男だつたら紙治ではないが、魂抜けてとぼ〳〵と我家ながら高い敷居を越えたでせう。私は南向けに寝なければ、おそはれる程、宗右衛門町あたりや道頓堀の憧憬者である。

ちなみに葭乃はこの文章のあと、道頓堀と千日前とは目と鼻の先にあるけれども、千日前は好まない、と書いています。千日前にある「活動写真屋の無数の電燈は恰も安物の後櫛に鏤めた新ダイヤのやうだ」と。

葭乃の道頓堀評から約100年。この間の道頓堀では何がうしなわれて、何がうまれたのでしょう。私たちは、今、道頓堀に何を求めて足を向けるのでしょう。「すれすれのところ」の浪花情緒を味わいに、でしょうか。

   
osk

コラム一覧へ