コラム

第17回 2014/7/28

江戸時代、夏の風物詩

尾道市立大学経済情報学部講師/センター非常勤研究員
 森本 幾子

「年中取組献立」(東京大学附属図書館所蔵)より7月15日中元のこと

 「年中取組献立」(東京大学附属図書館所蔵)より7月15日中元のこと

 江戸時代には、7月15日の中元の日に、盂蘭盆会とともに「生身魂(イキミタマ)」というお盆が行われ、両親が健在であれば刺し鯖などの生臭物を贈るという風習があった。霊が死者ばかりでなく、生者にもあると考えられていたのである。藤原定家の『明月記』や、室町時代の貴族の日記などにもこの風習が記されており、日本では、中世から広まっていたようである。

 江戸時代、淀川沿いにあった料亭の主人が、一年間の来客と献立を記録した「年中取組献立」(東京大学附属図書館蔵)には、大坂では、中元祝儀として「刺し鯖」と「白蒸し飯蓮葉包み」が贈られていたことが記されている(史料写真)。

『近世風俗志(守貞謾稿(四)』(岩波文庫、2001年)より

 『近世風俗志(守貞謾稿(四)』
(岩波文庫、2001年)より

  「刺し鯖」の作り方は以下のとおりである。①鯖の腸(はらわた)やうろこを取り、背中から骨にそって割開き、全体を分離しないように塩漬けにする。②一つの頭をもう一つの頭のエラの間に差し入れて、二つを重ねて一重にする。③それを茅(ちがや)という草を白紙で巻いたもので結ぶ。6月晦日の夏越の大祓で、茅の輪くぐりをするが、あの茅の輪の材料となる植物である。茅の輪をくぐると半年間の穢れを流すことができるとされるので、大変霊力を持った植物なのであろう。

  また、「白蒸し飯蓮葉包み」とあるが、これは、蓮の葉を米の上にかぶせて蒸し、飯ができてから、また別の蓮葉にうつして包んだものである。これら「刺し鯖」と「白蒸し飯蓮葉包み」を三方に乗せて、盆の進物とした。この風習は「荷供御(はすのくご)」と呼ばれていた。

さらに、料亭の主人は、七月七日の七夕祭りの様子も記録している。大坂市中では、この日、寺子屋の子供たちが、五色の短冊や色紙などに詩歌を書き、青笹につけてお師匠さんのところへ集まり、一日中遊んだ。史料には、昼も夜も踊り、とても賑やかな様子が記されている。七夕祭りというのは、そもそも水神様の祭りであるが、大坂など都市部では疫病対策のため、年に一度井戸浚えをして水を清めた。史料では、「水すまし」の上に、瓜・茄子・御酒・干肴・白苧などを供えていたことが記されている。  

  季節を感じるモノが失われつつある今、人々の祈りが詰まった大坂の風物詩に思いを馳せたい。

 

  

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