コラム

第9回 2012/11/15

変貌する大阪駅前の景観

関西大学環境都市工学部准教授/センター研究員
橋寺 知子

大阪中央郵便局庁舎

「大阪中央郵便局庁舎


大阪中央郵便局跡地

大阪中央郵便局跡地

奥に見える梅田スカイビルがなければ、どこの街角か分からない

中央の覆屋内には、庁舎の一部分が保存されている

 2012年11月、大阪駅前の大阪中央郵便局庁舎が姿を消した。  郵便局の窓口は移転して、長く空き家だったので、皆さんの記憶も薄れていたかと思う。だが現役時代から、大きさの割に目立たない存在だった。装飾的なものが一切ない典型的なモダニズムの建築で、色彩も渋い建築だったからである。

 日本の近代建築史上では、大阪中央郵便局に触れない教科書はない。日本の戦前期のモダニズム建築の一つの精華だった。モダニズム建築の一つの特徴は、timeless、古びを感じさせない点である。様式を排して合理的、機能的であること、ユニークさより普遍的であることを求めた。実際、大阪中央郵便局は1939年竣工だが、多くの方から「そんなに古い建物とは思わなかった」という感想を聞く。モダニズムの建築にとっては最高の褒め言葉かもしれない。

 大阪の玄関口である大阪駅前は、「まちの顔」にふさわしい美観が求められた。昭和初期に阪急ビルディングや大阪駅新駅舎、阪神ビルディング、大阪中央郵便局等が具体化し、駅前に壮麗なまちなみがやっと出現しつつあった。戦局の悪化により計画は中途半端に終わったが、駅周辺の戦前期のビル群は、大阪が20世紀前半に目指したモダン都市の風景の断片とも言える。

 大阪駅周辺は近年、再び大きく変化した。大阪駅の大屋根や阪急百貨店の再オープンなど話題に事欠かないが、上記の戦前期の建築はほとんど消え、大阪の近代の足跡が実感できる風景は少なくなった。

 郵便局がどの都市でも駅に隣接するのは鉄道輸送との関連で、実は大阪中郵庁舎とJRのプラットホームは専用の地下通路でつながっていたこと、ターミナルデパートは梅田の阪急百貨店が発祥で、戦前は百貨店東側が駅だったこと、阪神電車が戦前から地下駅なのは、西梅田にあったターミナルを梅田の真ん中まで延伸するための並々ならぬ努力だったこと…。これらは雑学的まちネタかもしれないが、知れば見慣れた風景が違って見えてこないだろうか。

 いろいろな視点からリアルな近代の大阪を探れば、これからのよりよい大阪の都市景観を創造する糧となるだろう。

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