コラム

第8回 2012/10/12

大正期・道頓堀のCG制作に際して

関西大学総合情報学部教授/センター研究員
林 武文

大正中期の角座付近の風景

大正中期の角座付近の風景

  CGによる都市景観の可視化チームは、大阪の景観変遷の可視化とディジタルコンテンツの制作を通してセンターの事業の支援を行っている。私自身は、これまで歴史学とは全く無縁の分野で研究を行ってきたが、本プロジェクトに所属したことにより、大阪の街の魅力を知り、歴史の面白さを感じられるようになるとともに、可視化の重要性と難しさを再認識した次第である。

  プロジェクトが発足した頃に、道頓堀についてWebサイトを検索していた時のことである。「大正期には道頓堀が日本のジャズの中心地だった」という記述が目にとまった。学生時代にはジャズバンドに所属し、日常的にジャズをよく聴くこともあって興味が湧いた。道頓堀は、江戸時代から歌舞伎や人形浄瑠璃の芝居小屋が建ち並ぶ芝居街として栄えてきたが、大正時代には海外の文化がいち早く取り入れられ、街の雰囲気が様変わりしていった。当時は、たくさんのカフェやダンスホールが建設され、街の至るところでジャズが流れていたそうである。現在の道頓堀からは想像もつかなかった。

 それでは、道頓堀でどのようなジャズが演奏されていたのだろうか。気になって調べてみたが、具体的な曲目や演奏者まで記載された資料はなかなか出てこない。大正時代は、西暦1912~1926年に相当し、本家のアメリカは、ディキシーランド~シカゴ・ジャズの時代である。スウィングやモダン・ジャズのスタイルは確立されておらず、スタンダード・ナンバーの多くはまだ作曲されていない。現在よく耳にするジャズの音楽や演奏のスタイルとはかなり異なる状況だったと理解したが、何となく違和感が残っている。日頃から慣れ親しんでいる事柄ほど先入観が入りやすいので、可視化を行う時も要注意である。

道頓堀復元CG

大正中期・道頓堀浜側の復元CG

 都市景観のCG復元では、出来る限り正確な寸法で街や建物を再現することが求められるが、それと同時に、ジャズのような当時の流行や街の雰囲気も伝わってくるようなコンテンツを制作し、分かり易い情報発信を行うことも考えていきたい。

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