コラム

第1回 2010/9/24

「温気」と大阪の都市遺産

大阪都市遺産研究センター長
藪田 貫

夕景の天満・堂島

大川から眺めた夕景の天満・堂島
(手前の橋は天神橋)

  8月15日から3週間ほど、ヨーロッパで暮らした。夏とはいえ、最高気温が17、18度から25度の過ごしよさ。大阪から来るメールは、「暑い」「溶けそう」というものばかり。
日本を脱出してきてよかったと心底、思った。しかし9月半ばに帰国すれば、その暑さが待っていた。蒸し暑いー関西国際空港に降り立って感じるのが、この体感。この蒸し暑さは、確実にヨーロッパにないものである。
 そんな大阪の蒸し暑さは、人々の身体感覚にまで影響を与えているとして、一種の風土論として捉えた表現がある。「温気」と書いて、「うんき」と読む。命名者である画家 小出楢重こいでならしげ(1887~1931)によると、つぎのようなものである。

 この温気というものは、何も暑くて堪らないという暑気のことをいうのではない。その温気のために寒暖計が何度上るというわけでもないところの、ただ人間の心を妙にだるくさせるところの、多少とも阿保にするかもしれないところの温気なのである。

 大阪の島之内に生まれ、「この温気を十分に吸いつくし、この温気なしでは生活が淋しくてやり切れない」という小出の感性が生み出したこの造語。芸術家にかかると、それをキーワードに、つぎのような「発見」となる。

大阪市中央公会堂

大正7年(1918)に完成した大阪市中央公会堂

 北極がペンギン鳥を産み、印度が象を産み出す如く、地球の表面の様々の温度がいろいろの人種や樹木、鳥獣、文化、芸術、人の根性を産むようであるが、この関西ことに大阪の温気によって成人した大阪人は、まだわれわれの窺い知ることのできない芸術と特殊な面白い文化を産み出しつつあるに違いないことだろうと思っている(『小出楢重随筆集』岩波文庫)。

 昭和6年に、わずか44歳の若さでこの世を去った小出楢重。いまの大阪を見れば、なんというだろうか?小出の残した遺産「温気」をキーワードに、近世から近・現代の大阪を捉えてみるのも興味深いことだろう。大阪都市研究遺産センターが立ち上がったところで、こんなことを考えた次第である。

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