文献研究とフィールドワークを融合
吹田 浩 教授

エジプト・サッカラ遺跡の保存修復プロジェクト

文献研究とフィールドワークを融合

布海苔(ふのり)とレーヨン紙による伝統的な修復技術を生かして共同研究

文学部 総合人文学科 史学・地理学専修

吹田 浩 教授

Hiroshi Suita

2003年より関西大学が取り組んでいるプロジェクトに、「エジプト・サッカラ遺跡の保存修復」があります。これはエジプト政府やエジプトの研究者との共同プロジェクトで、サッカラ地域の壁画の修復技術を開発し、共有しようというものです。エジプトの遺跡が発掘から本格的な保存活動にシフトされている中で、壁画の保存修復活動のグローバルスタンダードとなる可能性を秘めた研究でもあります。このプロジェクトの中心である吹田浩教授に伺いました。

文献研究から保存修復のための調査・研究へフィールドワークは関大の伝統

まず、吹田先生が古代エジプト学に関心を持たれたいきさつからお聞かせください。

私が学生のころから、日本社会全体に閉塞感、行き詰まりのような感覚があったんですね。それがなぜなのかを私は疑問に感じていました。そこで、比較文化的にその閉塞感がどこから来るのかを知りたいと思ったのです。しかし、それを日本のかつての文化と比較しても、同じ日本の文化ですからどうも分かりにくい。では、外国の文化と比較してみてはどうか。日本が受け入れてきたアメリカやヨーロッパの文化と比較しても、やはり分かりにくいんです。ならば、時代も空間も離れている視点から見て比較したほうが面白いのではないかと考えて、古代エジプト史の研究を選びました。
 エジプト史研究というと考古学のイメージを持たれることが多いのですが、私の研究は文献研究が中心です。古代エジプト語をはじめ、英語、独語、仏語を読むことになります。もっとも、学生はフィールドワークに興味を持っていることが多いですし、文献研究だけでは面白くありませんから、フィールドと組み合わせての共同研究も行っています。フィールドワークに力を入れるのは、関西大学の伝統でもありますしね。
 現在は、古代エジプトの文化史研究のほか、カイロ大学考古学部の教員と共同で遺跡の保存修復の研究も行っています。また、2003年からは、サッカラ地域の壁画の保存修復のための調査と技術研究を進めています。

発掘から保存修復重視の時代へ日本独自の技術で修復に貢献

具体的には、どのような調査・研究なのでしょうか。

サッカラはカイロ中心部から車で40分程度のところです。ここには最古のピラミッドとされる第3王朝のジョゼル王の階段ピラミッドをはじめ、初期王朝時代から末期時代までの多くの墓があります。サッカラは古代エジプトの3000年にわたる墓が残っている最大の墓域で、貴重な遺跡の宝庫なのです。
 ここにイドゥートという王女の墓があります。この墓の地下埋葬室壁画で現在、E落が進行しているので、調査するとともに、修復に着手することになりました。エジプトの文化財を所管する「古物最高評議会」との共同研究です。日本とエジプトの専門家が長期にわたって交流し、技術を共有していくことで、今後の修復活動のモデルケースになるようにしたいと考えています。
 エジプトの遺跡については現在、発掘よりも保存修復が重要な課題となっているのです。せっかく発掘し、新たに発見された遺跡も保存されずに風化してしまっているためです。これまで発掘された遺跡の保存修復のミッションについては、すべての専門家に門戸が開かれている、とエジプトの管理当局は言っています。
 我々は「日本・エジプト合同マスタバ・イドゥート調査ミッション」として、保存修復に当たることになりました。マスタバは、腰を掛ける「ベンチ」を意味するアラビア語であり、墓の形がこれに似ていることに由来します。

今までの調査や保存活動の経過は?

化学薬品を使ったヨーロッパの修復技術は、化学薬品から揮発する成分が遺跡の室内にたまり、修復作業者の健康に影響が出やすいため採用できません。そこで、日本で巻物や掛け軸などの保存修復で実績を残してきた布海苔(ふのり=海藻の一種で、これを煮て接着剤をつくる。日本の美術・工芸などで広く使われている)とレーヨン紙を活用した修復技術を用いて、保存修復活動を行おうと考えているのです。
 2003年11月に第1次調査を行い、E落の進行度の確認や化学分析のためのサンプル収集を行いました。また、2004年度の第2次調査では修復方法の検討を行いました。今年7月からは第3次調査を実施し、12月から修復作業に取り掛かる予定です。


  • 南面の細部


  • 埋葬室東面 波打つプラスター

経験に基づいた独自の文法書を発刊象形文字から広がる古代エジプトの世界

ご専門の文献研究のほうでは、古代エジプト語の文法書も出版されていますね。

『中期エジプト語基礎文典』では、入門から研究者に役立つレベルまでを扱っています。
 古代エジプト語の中で、最初に学ぶのは「中期エジプト語」の象形文字です。これはエジプトの神殿など古代エジプト文明が存続した全期間を通して使われ、エジプト学を学ぶ者にとっては必ず付いて回るものです。現代のエジプト語、アラビア語は、古代エジプト語と単語レベルでは多少は似ているものの、全く違うものです。
 それでいて、この中期エジプト語の文法というのは、文法理論としてまだ確立されていず、かなりやっかいなんですね。研究者の数ほど説があると言ってもよいでしょう。この本も決して「文法書の決定版」ではなく、私が学部の学生に教えてきた経験に基づいた「私の」中期エジプト語の文法書です。
 なるべく分かりやすく、新しい考え方を多く取り入れるようにしました。例えば中期エジプト語の研究の中心は地理的に近いこともあってヨーロッパです。そのため、エジプト語の文法も欧米言語の構造をもとに考えられています。そこで、本来であれば日本語の文法を踏まえた上でエジプト語文法の解説をするべきなのでしょうが、それでは逆に難しくなりそうですので、日本人にとって親しみのある英語の文法の知識で分かるように解説しました。もっとも、先にお話ししたように文法理論として確立されていない分野ですから、5年もたつと古臭いものになっているかもしれません。

最後に、古代エジプト学を志す学生たちにひと言。

どの分野にも言えることですが、文献を解読し、それに基づいた論を立てていく姿勢を大切にしてほしいと思います。裏付けのない研究はよくありません。エジプト学の場合、文献はもちろん日本語ではありませんから、それを解読することはとても大変です。私も学部生時代は「単語は読めても文章は読めない」というレベルでした。そこで、大学院生時代の2年間は腰をすえてエジプト象形文字の習得に取り組みました。これは遠回りでしたが、結果としては古代エジプトの世界が一つひとつ分かってくる面白さがあり、良かったと思います。
 かつてはエジプトで考古学の調査ができるなど考えられませんでしたが、今は、考古学と文献研究がチームを組んでの共同研究ができる時代です。日本人の観光客が増え、それに伴って古代エジプトの歴史に興味を持つ人も増えています。こうした共同研究もより一層しやすくなりましたし、留学も容易になりました。チームで研究することで研究成果も充実したものになります。エジプト政府も日本との共同研究には期待していますから、こうした恵まれた環境を生かして、研究に取り組んでほしいと願っています。