関西大学のスポーツ史

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長尾三郎

 明治43年(1910)8月25日大阪市に生れる。
桃山中学時代からヤリ投げをはじめる。関大陸上部の有賀次郎に説得されて、 昭和4年、関西大学予科に入学。入学早々学生陸上界のホープとして脚光を浴び、 昭和7年、法文学部法律学科に進学した頃には、 オリンピック出場選手に選ばれた。
 昭和7年6月の対法政戦で61・27mの記録を樹立。同年8月、日本の期待を背負って、第10回ロス五輪に出場、59.83mの記録で第10位であった。これを契機として、孤軍奮闘、昭和9年には、第10回極東大会において62・44mを樹立。そのあと甲子園競技場で開催された第1回近畿一般対学生対抗競技大会で68・59mの日本新記録を樹立した。この記録は戦後30年頃まで実に20余年間破られなかった。
 その後、日本代表選手として欧州に遠征、第6回ユニバーシアード大会にも出場。 昭和11年、本学を卒業。昭和11年8月には第11回ベルリン五輪の日本代表選手として出発、しかし途中で病床につき大会を棄権。
 帰国後、 召集されニューギニア方面に長征、昭和18年(1943)12月13日戦死した。33歳

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