収蔵資料

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 現在の関西大学第第一高等学校・一中学校、関西大学幼稚園から関西大学会館、社会学部学舎にかけてのエリアに存在した遊園地「千里山花壇」の飛行塔である。飛行塔の本体から伸びた4本のアームに複葉機と単葉機タイプの飛行機が2機ずつ交互にぶら下がっており、ワイヤーが巻き取られて飛行機が上下する仕組みであった。
 「千里山花壇」がオープンしたのは大正9年(1920)のこと。大正12年(1923)に経営が北大阪電気鉄道(現在の阪急千里線の前身)から新京阪鉄道に移ってから飛行塔や野外音楽堂、ボート池、小動物園などが設けられた。
 飛行塔の後方に写っているのは予科校舎である。予科校舎は、上から見ると片仮名の「ヨ」の字のような構造で、大正11年(1922)4月、千里山キャンパスで最初に完成した建物である。しかし、昭和9年(1934)12月12日の深夜、火事で焼失した。これらのことから、この写真は大正12年(1923)から昭和9年(1934)12月までの間に撮影されたものであることが分かる。
 また、現存する「千里山花壇改修計画平面図」とこの写真の情報をつきあわせると、飛行塔は現在の第3学舎(社会学部学舎)1号館付近に立っていたと考えられる。