収蔵資料

HOME 収蔵資料 04 大正時代後期(1922〜) 詳細

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 年史編纂室が所蔵する「千里山花壇」にまつわる2種類のポスターである。一つは秋の菊花展を案内するもの。もう一つは子どもたちが喜ぶ楽しい遊園地であることをPRするものである。
 現在、関西大学第第一高等学校・一中学校、関西大学幼稚園となっているエリアには、かつて「千里山花壇」と呼ばれる遊園地が存在した。
 「千里山花壇」は、北大阪電気鉄道(現在の阪急千里線の前身)が垂水の北にある広大な桃山を整備したもので、大正10年(1921)にオープンした。大正12年(1923)、経営が新京阪鉄道に移ってからは、ボート池や音楽堂、飛行塔、小動物園などが設けられ、大阪の一大レジャースポットとして人気を集めた。
 「千里山花壇」はその後も遊園地としての華やかさを増し、昭和13年(1938)には「千里山遊園」と改称する。しかし、戦時下の昭和18年(1943)、「千里山厚生園」と名前を改称し、昭和20年(1945)には軍需物資の貯蔵所となったため、遊園地は一時閉鎖された。
 昭和21年(1946)に再開され、昭和22、23年ころには、「ひらかた遊園」のかわりに菊人形も開催されたが、昭和24年(1949)に「ひらかた遊園」の菊人形が復活したことから入園者が減少し、昭和25年(1950)に閉鎖された。跡地はカナダ聖母奉献修道会(現在、堺の賢明学院)が取得したが、同年12月、本学は譲渡を受け「関西大学外苑」と名づけた。