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【執行部リレーコラム】大学に求められている教育力−高等教育修学支援をめぐって

2019.11.29

学長補佐 岡田 忠克

 先日、ある大阪府立高校の校長先生とイベントの打合せを行っていた際、来年度から実施される高等教育修学支援制度の話題になった。

 「先生、本校ではああいう修学支援制度ができても大学進学は勧めません。」

と断言された。高等教育への修学支援制度の詳細はここでは紙面の都合で述べないが、どうして勧められないのか、と尋ねてみると、

 「経済的に困難な生徒は、お金のことだけで困っているわけではない。長年にわたって貧困に由来するさまざまな機会が奪われていたせいで、学習を継続的に行う習慣や他者に支援を求めるコミュニケーション能力、自己肯定感が相対的に低いので、支援制度が求めている『学習意欲』の確認のところで必ずドロップアウトしてしまう。簡単につまずいてしまう。そこで挫折するくらいなら高校で職業教育、就労支援をしっかりした方が良いのではないか。」

 高校現場でのこの判断は必ずしもすべての高校生にあてはまるわけではないが、決して見過ごしてはいけない指摘である。支援制度が求める「学習意欲の確認」は、現時点において厳密なものではないが、この話の背景に見えてくるものは、学習意欲の基準の設定や厳格さの問題ではない。つまり、経済的な支援だけではない、さまざまな課題を抱えながら進学してくる学生を、大学がどのように支え続けていくのか、という「大学の教育力」が問われている話ではないだろうか。

 貧困の問題に長期にわたっておかれている子どもたちは、自己肯定感が乏しく,どうせダメだとの諦めの気持ちになってしまっていることがある。 助けを求めても何も変わらない自身の環境に絶望し、夢なんて持ってはいけないと自身に言い聞かせ、生きている意味を問い、時には命を絶つ子どもたちもいる。

 しかし、そのような課題をもつ学生は、一見してもわからない。

 教員からみると、課題を提出せず欠席が多い学生、授業がわからないにも関わらず教員や友人に支援を求めない学生、やる気を見せない学生は、いわゆる「やりにくい学生」となってしまう。いつのまにか除籍や退学処分となり、気づいたときには居場所もわからなくなってしまうのである。

 その時に、関西大学は何をすべきなのか。つまずきやすい学生に「頑張るちから」を与える教育力とは一体何であろうか。

 「頑張るちから」は、意欲に支えられる。人は、自分が理解され、認めてもらえているという感覚を持つことができてはじめて自己肯定感が生まれ、それが前に進もうとする意欲のみなもとになっている。学生が社会の中で生き抜こうとする意欲は、さらに言えば人が生きていくことへの「頑張るちから」は、結局のところ信頼関係や人と人とのつながりからうまれてくるものであるといえる。われわれ大学人が、学生に対して、安心して勉強できる環境、信頼できる関係性を提供することが、もっとも大事なことであるのではないか。

 経済的な支援は、学び続けるための環境整備でしかなく、学びの主体である学生の意欲をどれだけ引き出し、支え続けることができるのかが問われている。学生に対して、前に向かって歩を進めること、夢を持つことのすばらしさ、貧困や援助を必要とする課題を抱えながらもひとりひとり違う大事なものを持っていて、意味の無い人生なんてないことに気づかせる機会を、どれくらいの教職員が提供できているのだろうか。学生を未来へ導く夢のタネを、われわれ教職員がどれくらい与えられているのだろうか、と改めて自戒を込めて考えてしまう。

 一方で、貧困に苦しむ学生を支援するだけではなく、貧困をはじめとするさまざまな課題に向き合うことができる学生を育てていく教育力が大学に求められている。当然、貧困を「知っている」だけでは、なんら解決にはつながらない、それは人材養成には何らつながらないのである。たとえば、貧困や社会的疎外(ソーシャルエクスクルージョン)といった生きることを阻む生々しい課題をもつ人を目の前にしたとき、関大生のあなたは立ち止まるのか、通り過ぎるのか。自分だけが安全な場所にいることが、あなた自身の中で許されるのか。

 何もできなくてもかまわない。立ちつくすだけでも良い。立ち止まって考えてほしい。今できることがたとえ焼け石に水でも構わない。立ち止まる勇気を持ってほしい。関西大学は、そういうマインドをもつ人材を養成する教育機関でありたい。何も分からなくて悔しいなら、どうしたら助けられるのか、それを自ら主体的に学んでほしい。関西大学で学ぶことができなければ、外の世界に一歩踏み出して学んでほしい。どうしようもできない「くやしさ」「やるせなさ」は、次に課題や支援に立ち向かう時の礎となり、さらなる「学びへの原動力」となるはずである。関西大学が推進するSDGsの取り組みがファッションで終わらないためには、このような前を向き学ぶことに覚悟を決めた学生の背中をそっと押してあげるものでなければならないのは言うまでもない。

 大学生活の4年間は短い。

 われわれが教育を託されている学生は、これまで歩んできた背景もさまざまであり、その夢の大きさも抱えている悩みもさまざまである。関西大学の教職員のファーストミッションは、学生自身が「あなたはあなたである、あなたのままで良い」と支援を受けながらも自身の力で気づける教育環境を、そして「誰ひとりも取り残さない」夢が育める環境を提供できるよう、日々、教育実践に向き合うということにつきる、といえるのではないだろうか。